2021年9月6日月曜日

教育勅語を「見事」と評価する高市早苗議員


 自民党総裁選に高市早苗議員が出馬する、という報道が。

 表現の自由や性の平等への「憎悪」にも似た敵意は、安倍晋三氏と

極めて近い国家観ゆえでしょう。安倍晋三氏あるいは背後の「日本会議」

が高市氏を推すのも、さもありなんといった感じです。


 高市氏の特徴の1つに、「教育勅語」を高く評価する人物である、と

いう点があります。

それがどれだけ危険なことか、確認します。


<高市早苗議員の2012年9月3日のコラム>

 https://www.sanae.gr.jp/column_detail593.html


<一部抜粋>

 私が幼い頃に両親が繰り返し教えてくれたのは、「教育勅語」

(「教育ニ関スル勅語」明治23年10月30日)でした。

 小学校に入る前から全文を暗記していたのだという両親が、

楽しそうに声を合わせて唱える姿が好きでした。

 内容は、「子は親に孝養を尽くす」「兄弟姉妹は互いに力を

合わせて助け合う」「夫婦は仲睦まじく解け合う」「友人は胸襟

を開いて信じ合う」「自分の言動を慎む」「全ての人々に愛の手を

さしのべる」「学問を怠らず職業に専念する」「知識を養う」

「人格を磨く」「進んで社会公共の為に貢献する」「法律や規則を

守り、社会の秩序に従う」「国難に際しては国のために力を尽くす」

という徳目で、子供にも分かり易いものでした。

 現代においても尊重するべき正しい価値観ですし、子供も大人も

覚えて繰り返し唱和することで、日本人全体が心を合わせて道徳を

実践する空気を醸成したものだと思います。

<抜粋終わり>


 コラムでは「見事」と評価し、それが廃止されたことを無念がり、

「日本人の手」による改憲によって、実質的に教育勅語の復活を目指

したい、という文脈が語られています。


 そもそも、ですが、

 教育勅語は、いざとなれば天皇のために命を差し出す「忠実なる

臣民」とはどんな人間か、を明治天皇が臣民に「教えてくださった」

という形式のものです。日本はこれを徹底的に国民に教え込み、文字

通り軍国主義まっしぐらの歴史を歩むことが「できました」。

自由や民主主義といった思想とは真逆の世界観の文書なのです。


 教育勅語を「いいことも書いてある」などと評価する方は、教育勅語

の本質をまったく知らずに言っているか、知らないふりをしているか、

どちらかです。姉妹兄弟仲良くとか夫婦仲睦まじくとか、いくつか

並んでいる「公徳」は教育勅語の本質ではなく、すべての公徳は、

「いざとなれば天皇のために命を差し出す臣民になる」ために実践すべ

きものとして位置付けられていることを、決して見下ろしてはいけません。


 この教育勅語を、安倍政権は「憲法と教育基本法に反しない形で、

教材として用いることまでは否定されることではない」と閣議決定

しました。天皇のために命を差し出す臣民になるべしという本質部分

に、抑えがたい執着を感じざるを得ません。

 第一、孝行・友愛などは教育勅語を使わなくても教えられます。

わざわざ教育勅語を使う必要がどこにあるのでしょう?

 あえて、わざわざ教育勅語、なのは、「教育勅語でしか教えられ

ないなにか」に強いシンパシーがあるから、でしょう。それはまさに

「いざとなれば天皇のために命を捧げる“良き臣民”であれ」という

本質なわけです。

 現代の公教育において教育勅語に出番があるとすれば、ただ1つ。

73年前の敗戦まで、国民がどのような思想に洗脳されていたか、

どのような思想をベースに日本がファシズムの道をひた走ったか、

という負の歴史的証拠としてです。それを「見事」と評価する高市

早苗議員の人権感覚・世界観は、疑う余地もなく、極右と評価されて

も仕方ないほど強権的なものです。


 高市早苗議員が堂々と総裁選に出馬できてしまうほど、自民党という

政党の人権感覚が憲法と対極にあることも、また事実です。この出馬が

いかに危険なものか、ぜひ周囲にお知らせください。