日本学術会議への人事介入は、菅政権が「異論を許さない」強権政治
のスタートとして象徴的な事件です。違法で違憲な任命拒否について
正当化できず追いつめられた自民党は、論点すり替えを急いでPTを作り、
「日本学術会議を民間団体にすべし」という逆ギレのような提言をまと
めました。
そのおかしさについて、北海道大学の宇山教授が語る記事を紹介して
います(このFB記事はその後半です)。
● 日本型アカデミーとしての「学術会議」に誇りを
宇山智彦・北海道大教授 (東京)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/75942?fbclid=IwAR0gklAeQMZoObgaPE8FIJRCajQN-RBX2EThbL5qZTBDnAsvUJpVjBANY6E
<一部抜粋> 欧米に倣うべき点として自民提言が特に強調するのは「政府からの
独立性」だが、政府が学術界への介入を自制するという「独立」の
本質には触れず、組織と財政の問題だけを考えているようだ。
しかし、欧米の多くのアカデミーも、国の法や決定に設置根拠を
持ち、財源の大半を公費に負っている。それでも政府機関にならず、
しかも政府に対等に提言できる権威を持てるのは、欧米には国家に
独占されない「公共」の空間があり、アカデミーはそこに位置づけ
られるからだ。
それに対して、日本では公共と国家が同一視される傾向が強く、
民間組織が国全体への強い影響力を持てるのは、資金力を背景とする
経済団体などに限られる。独立行政法人のように政府から細かい監督
を受ける準政府機関になったり、政府からの資金に頼る民間団体に
なったりすれば、政府への従属性はかえって高まる。欧米のような
公共のあり方が日本にも定着すれば別だが、そうなっていない以上、
国の学術界全体を代表する学術会議を国家機関とするという、設立時
の日本政府の決定は今でも合理的であろう。
<抜粋終わり>
欧米にあって日本に無い「公共」の空間… 成熟した知的な社会に
だけ存在しうる場、なのかなと想像しますが、日本の、特に今の自民
党政権の「行政組織なのだから権力の介入は当たり前」という発想が
横行する状況下では、なかなか望めないものです。
政権は、「権力から独立していたいなら民間組織になればいい」と
言いますが、宇山教授の「独立行政法人のように政府から細かい監督
を受ける準政府機関になったり、政府からの資金に頼る民間団体に
なったりすれば、政府への従属性はかえって高まる。」という警告を、
広める必要があります。
最後に、諫言する専門家機関が政府におもねるようになれば、
どのような末路をたどるか、について。
↓
<一部抜粋>
民主主義が、選挙で選ばれた政治家・政党による独裁に転化する
ことを防ぐには、裁判所や検察、オンブズマンなど、政府から独立
した立場で活動する国家機関が政府を監視したり、専門的な立場から
助言したりすることが必要だ。政府の長が国家公務員の人事をすべて
自由に動かせることになれば、こうした独立性は失われ総忖度機関化
する。
近年、ハンガリー、ポーランド、トルコなど自由民主主義の退行が
指摘される諸外国で起きたのはまさに、裁判所などの国家機関から
政府に対する監視・助言が力を失い、政府が暴走するという事態だった。
独立して職務を行う国家機関という存在が、自民提言で言う「矛盾」
では決してなく、自由民主主義に不可欠であることを、世界の政治
学者たちは再認識している。
<抜粋終わり>