最初に憲法改正をするテーマは何?


実は、国会では既に、1回目に憲法改正の手続をするテーマを何にするか、という議論が始まっている。
…って、知ってました?


衆議院と参議院には「憲法審査会」というものがあり、憲法改正についてさまざまな研究と議論を行っています。
テーマの絞り込みは、昨年11月6日の衆議院憲法審査会で、議論がなされました。


1回目に行う改正手続のテーマとして、11月6日に自民党議員から提案がなされたテーマは6つあります。
①環境権
②緊急事態条項
③財政規律
④憲法改正手続(96条)
⑤裁判官の報酬引き下げ(80条2項)
⑥公金の支出(89条)


ううむ、9条って入ってないんですね、
①環境権はよく言われるし④96条も2013年に大問題になったけれど、
そのほかは初めて聞いたけど何が何やら?と思われるかもしれません。


例えば、②緊急事態条項。
おおざっぱに言えば、災害や戦争などの緊急事態のときには、国会と同じ権限を内閣に与える、というものです。今の憲法にはありません。
東日本大震災以降、急に言われ始めたもので、マスコミでもなんとなく必要なんじゃないかなぁ~という論調が多くみられます。
11月6日の憲法審査会でも、9条のことを言う議員が多かったこともあって、緊急事態条項に対する異論は出されませんでした。


でも、ちょっと待ってくださいね。
ドイツでナチスが権力を独裁的に掌握していった大きな要因は、全権委任法にあると言われています。
(全権委任法は、緊急事態条項と同じように、内閣に立法権を与えるという法律でした)
気をつけないと、ナチスと同じようなことになってしまう危険性をはらむ条項ですから、
安易に入れよう入れようということにはできないはずです。


自民党改憲草案に書かれている緊急事態条項について解説した記事がありますので、興味があればぜひお読みください^^
http://www.asuno-jiyuu.com/2013/04/blog-post_22.html


こんな問題のあるテーマなんですから、国会でもマスコミでも私たち市民の間でも、十分話し合っていく必要がありますよね。
自民党は、2016年に憲法改正手続を行うことを目指すと言われています。
もう、来年です。

憲法ってなぁに? W杯の報道から

いや~、悔しかったですね、ギリシア戦
そのうち点数が入ると思ったんですが、なかなか攻めきれず、やはりギリシアも強かったです。


W杯開幕直線、やたらと耳にしたのが、「ストライキ」ですね。
ブラジルの地下鉄労働者や警察官などが、物価の上昇に見合った賃上げを要求してストライキに入ったんですってね。
報道見ていたら、ストライキって邪魔、ストライキって怖い、ストライキって自分勝手、って感じしませんでした??

ストライキをするってことは、その時間帯、仕事をやってくれないので、その仕事を期待していた人は、その仕事の提供を受けられず、困りますよね。

そんな、人を困らせる結果になるこのストライキ、憲法上の権利だって知ってました?

「団体行動権」って言うんですよね

なんでこんなはた迷惑な権利が憲法上の権利なのかっていうと、簡単に言うと弱い者も守るためなんです

憲法って弱い者を守るためのものですよね
権力っていう強いものの横暴勝手から、国民っていう弱い者(の権利や自由)を守る
で、その強弱関係って、会社と労働者の関係でも起こりうるんですよね
会社が横暴勝手やると、そこで働く労働者がひどい目に遭う、って意味です。

たとえば
食料品とか生活費が値上がりしているのに給料が上がらないと生活に困りますよね
でも、会社は、食料品が値上がりしても給料をあげなければその分儲かりますよね

それだと労働者が困るから、労働者は文句を言うわけです
でも一人で文句を言っても「お前なんてクビだ!」と言われて終わりです
そこで、大勢で文句を言うわけです
でも、大勢で文句を言っても、「そんなもん知らん」と会社が取り合ってくれない可能性があります
そういう場合に、会社に言い分を聞いてもらうために、ストライキってのをやって、「僕らの言い分を聞いてくれないと仕事しないぞ、会社が回りに迷惑かけるんだぞ、それでもいいのか」ってやるわけです

つまり、ストライキってのは、弱い者がまっとうな生活をするための権利なんですよね。

だから、そのストライキを「はた迷惑だ」、「やめてくれ」って思うのは、そのストライキを行使せざるをえない人の権利を制約しちゃうことになるんです
困ったもんですね

他人の人権を護るってことは、自分にも我慢が必要なんですね、でもそれがめぐりめぐって自分の人権を護ることにつながるって、発想なんですよね、きっと。


ところで、このストライキ権
これを制限しちゃお、ってのが、自民党の改憲草案なんです。
弱い者を守るための憲法じゃないような感じです。

国民の三大義務は立憲主義に反する?


 おかげさまで、あすわかは若干知名度が上がったようで
(記事に取りあげて下さったマスコミ各社には改めてお礼
申し上げます)、連日たくさんの励ましや応援のメッセージ
を頂いております。
 と共に、ご批判のメッセージもたくさん頂いております。
どちらも大量なので、人手不足な事務局では対応しきれて
おらず、その点大変申し訳ございません。


 今日は、お寄せ頂くご批判の中でも特に顕著なものについて、回答いたします。


<ご批判>
 立憲主義は国民が国家権力を縛るという考えであり

日本国憲法は立憲主義に基づいている、と説明しているが、
日本国憲法には国民の三大義務が定められていて、これら
の規定は国民を縛っている。だから日本国憲法が立憲主義
の考えに基づいているなどという説明は間違いではないのか。


<回答>
 三大義務についてちょびっと説明させてくださいね。
 日本国憲法には
①勤労の義務(27条)、
②教育の義務(26条)、
③納税の義務(30条)、が規定されています。

 ①勤労の義務は、国家が国民に労働を強制できる、なんて
意味はなく、精神的指針というか倫理的義務として定められて
います。

 ②教育の義務は、正確には「親が子女に教育を受けさせる
義務」ですね。子どもが教育を受ける権利を持っていることに
対応した規定であり、また、もし子どもが教育を受けられない
環境にあるときには、国家が後見的な立場から、親に対して
指導しなければならないことも意味する規定、と言われています。

 ③納税の義務は、明治憲法の規定を引き継いだものなの
ですが、この「国民は、法律の定めるところにより、納税の
義務を負ふ。」という規定が現代において重要な意味を持つ
のは、「法律の定めるところにより」という部分です。つまり、
公権力は(国会議員が作る)法律なくして勝手に国民から
税を取り立ててはいけないよ、という意味が込められています。

 国民の三大義務、というのは、こういう内容です。


 さて、立憲主義と三大義務の関係ですが、この2つは真っ向
からぶつかっているのでしょうか? 
 立憲主義とは、以前から説明しているとおり、国民の自由や
人権を守るために、国家権力の暴走を(憲)法によって制限する
(縛る)、という考えです。天賦人権や社会契約論など近代の
思想を背景に生まれたこの立憲主義の考えこそが、「近代に
おける憲法」を形作りました。

 どの国にも(あの専制国家にも)「憲法」と名前のついた法は
あります。けれども、「近代における憲法」の本質は、国民の
自由や人権を保障するために国家権力を制限するところに
あります。
 フランス人権宣言16条が、
 「人権保障や権力分立とか国家権力を制限する規定がない
憲法は『憲法』と名乗る資格はない」(←超訳です☆)
 と規定しているのは、こういう考えに立っているからこそです。


 上記の三大義務の規定は、立憲主義の考えに反する形で
国家が何かしらを国民に強制して国民の生を縛る、という規定
ではありません。むしろ民主主義的・自由主義的な国家を運営
していく上での注意書きであったり、裏の意味として国家になに
か責務を負わせていたり、国家の行いに制限をかけていたりする
意味合いがあります。本質的に、立憲主義の精神と矛盾するよう
なものではありません。(憲法には国家権力を縛る規定以外の
規定を置いてはいけない、というルールがあるわけでもありませ
んしね。)


 学校で憲法を学ぶ時に、「憲法の三大原則」「国民の三大義務」と、
まるで2大テーマかのように暗記させられたりするから、誤解して
しまうのかもしれませんね。

 
 ということで、プチ解説でした~。

限定したって許されない解釈改憲

政府の安保法制懇が、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈案で、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」に限り行使を認める考え方を採用するとの報道がありました。
記事では、これによって外国領土での戦争に加わるといった典型的な集団的自衛権は容認対象から除外されることになると書かれています。

しかし、本当にそうでしょうか。

「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」であるかどうかは、それを判断する人の考え方次第です。これでは何の限定にもなっていません。

集団的自衛権行使容認で日本を戦争できる国にすることに対して慎重な立場をとる人達を、賛成側に引き込む意図が見え見えです。

こんな目くらましに、ごまかされてはなりません。

いくら集団的自衛権の行使を限定的に容認するのだといっても、解釈で憲法を変えることには違いがありません。

日本国憲法は、国民が国家権力に対して、「基本的人権を守り、平和のうちに生存する権利を確認せよ」と命じています。
国家権力を縛る法、それが「憲法」です。
しかし、「憲法」によって拘束される側の政府が、勝手な憲法解釈でその拘束の内容、拘束力を決めることができるとすれば、日本国憲法は「憲法」でなくなってしまいます。
憲法改正は、憲法自身が定める厳格な手続で国民の意思を問うた上で行わなければならないのです。

「限定容認」などという言葉にだまされないよう、しっかり考えて行動しなければなりませんね。

 

人権後進国ニッポン その1

オリンピック、楽しいですねぇ。
私は、北国生まれなので、北国出身の方々の活躍がなんだかうれしいです。

頑張った人に対して「見事に転んだ」などと、暴言を述べる方もおられるようですが、
やはり、一生懸命になっている人を応援するのは、なんだか楽しいです。


さて
世界ランキング59位
これって、なんのランキングでしょうか?

ソチでの日本のメダル数? いやいや、金1・銀4・銅3はかなり多い方ですよ、17位(2014.2.22時点)です
FIFA? 惜しいですね、それは50位ですね(2014.2時点)
錦織圭? いや~、全然違いますね、15位だそうですよ(2014.2.17時点)
日本の男女格差? 残念ながら、日本は105位(世界136か国中)ですね
世界遺産の数? 日本は17件の登録で世界13位だそうですよ


まぁ、タイトルからして、憲法がらみなんですが、
正解は  報道の自由  なんです。

国境なき記者団の選考らしいんですがね
http://rsf.org/index2014/en-asia.php
日本は、180か国中59位なんです。
これって、やっぱり、先進国!っていうわりには、低いですよね
世界第2位(3位?)の経済大国なのに・・・

アジアでは、韓国や台湾より下なんです。
盗聴しまくっていたらしいアメリカよりも下ですし、偽物通訳が話題になった南アフリカよりも下なんです

ちなみに、原発事故情報の秘匿が問題になっていた昨年よりも6位も順位が落ちているんです


まぁ、
福島原発の関係では、選挙後に情報が公開されるってこともありましたし
特定のメディアの取材を受けない、って政治家さんや電力会社さんが言っていたのもありますでしょうし
なにより、ツワネ原則(国際的な基準)に反する秘密保護法ができちゃいましたからねぇ。

本来マスコミから監視される対象である首相が、マスコミ関係者と頻繁に食事をとっているってことが、ランキングに影響したのかもしれないですね。


人権後進国ニッポン
これでは、国に誇りを持てないですよ。



自民党さんの改憲草案では、この報道の自由を充実させる条文、なんてないのでして
むしろ、
秘密保護法を作るための条文
 「機密の保持に関する事項は、法律でこれを定める」(9条の2第4項)
表現の自由を「公益」に劣後させる条文
 「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行」うことは認められない(21条2項)
があるんです。

今後、ますます、報道の自由の順位が下がらないか不安です。



あって、報道の自由といえば
3月22日に石巻市で、表現の自由に関する学習会やりま~す
詳しくは、http://www.seihokyo.jp/shiryou/15jinken-shuukai-chirashi.pdfまで!

改正要件に差をつける、って!?


読売新聞の報道によると(以下、抜粋)、


+ + + + + + + + + + + + +

 安倍首相は憲法改正の発議要件を定めた96条の見直しに関し、
改正対象の条文ごとに発議要件に差をつける案の検討に意欲を示した。

 公明党の主張に沿うもので、96条見直しに同党の理解を得る
狙いがあるとみられる。
 首相はこの中で、「発議要件を衆参両院の3分の2以上にする
場合と、2分の1以上にする場合に分けてはどうか、という案が
あります。統治機構に関する条文については2分の1でもよいが、
人権に関わる条文や9条などについては、3分の2以上の賛成に
しようという議論です」と述べた。その上で、「憲法改正は自民党
だけでできるものではありませんから、さまざまな意見を聞いてい
く必要がある」と語った。

+ + + + + + + + + + + + + 


人権規定、統治機構、9条等々、条文ごとに改正要件に差をつける、
という案だそうです。

 なるほど、安倍首相は(少なくとも)統治機構の条文について
は「総議員の3分の2」要件の緩和をしてもよい、という発想も
アリだと考えているようです。

 統治機構の条文は、制度設計の問題ですからね、という感覚
なのでしょうか。

 しかし、統治機構の規定がなぜ憲法上の制度かといえば、
三権分立や間接民主制といった制度そのものが、個々人の自由と
人権を守るための不可欠な手段であると考えられているからです。

 また、例えば
・国会議員の不逮捕特権(50条 政府が対立する議員を恣意的に
 逮捕して職務執行を妨害することを防ぐための規定)、
・シビリアン・コントロールの規定(66条2項)、
・政教分離を財政面から定めた規定(89条)、
・天皇に政治的権能が無いことを定めた規定(1条、4条)
 などなど、ザっと見渡しただけでも、民主主義というシステムが
正常に機能するための重要な規定が定めてあります。


 ですので、これらの規定を“人権規定ではない”という理由で
改正要件を緩和することには、疑義を抱かざるを得ません。


 こう反論すると、安倍首相は、「じゃあ、この条文とこの条文
なら改正要件を下げても問題ないだろう?」と、さらに条文を絞って
、改正のハードルを下げることを主張するかもしれません。
 しかし、なぜそこまでして改正要件を緩和したいのか、その姿勢
がそもそも問題だと言わざるを得ません。
 ハードルを下げたいのは、ハードルを飛び越えた先で何かを
したいから、です。
 憲法の中身をどのように改正したいのか、実体的な議論をして
もらわなければ、主権者国民をあざむいているのでは?と心配に
なります。


 憲法は“国民が国家権力を縛る法”です。縛られる側の権力が、
「103条もあるのだから、どれかは簡単に変えたっていいはずだ」
という姿勢で憲法を見つめるのは、謙虚な姿勢とは思えません。
 実際に、「この規定さえなければ民主主義がうまくまわるのに」
なんていう世論の高まりも、ありません。立憲主義の考え方からは、
このような条文ごとに改正要件に差をつける、などという“アイディ
ア”は、出てこないはずです。

 政府や与党自民党には、今一度、憲法とは何なのかを学び、96条
改正あるいは96条改正先行という議論が、憲法の死刑執行を招くも
のかを分かって頂きたいものです。

「個人として」の「個」が抜けたら…

フランスで、初の同性婚カップルが誕生したそうですね。
ニューヨークでは、小学校5年生の少年が同性婚についてのスピーチをしたそうです。

同性愛や同性婚に限らず、昔からのステレオタイプとは異なる価値観や生き方が尊重され、社会から認められることで
生きやすくなる、やっと私らしく生きられる、と感じる人がたくさんいます。

憲法13条は、このようなステレオタイプでない生き方も含めて、すべての個人をかけがえのない存在として尊重することを、国家権力に対して約束させています。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 (下線は当会による)

  この点、自民党憲法草案ではどうなっているでしょうか?

第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大に尊重されなければならない。

尊重されるものが「個人」から「人」へと変わっています。
なぜでしょう?

ここで、自民党憲法草案の前文を見ますと…
最後の一文。
「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

良き伝統と、国家を末永く子孫に継承するために制定される憲法。
その憲法が想定する「人」って…??

前文第3文。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、…家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」

自ら国と郷土を守る力を持たない人や、「家族」を持つことができない人。
自分では「家族」という意思で生活を共にしている人が、法制度上想定している「家族」じゃなかったら?
そういう人がいることを、自民党憲法草案はきちんと想定しているのでしょうか?


さらに、同じ13条の中に
「公益及び公の秩序に反しない限り」とあります。
公の秩序、ってなんでしょうか。
昔からのステレオタイプとは違う生き方が、「公の秩序に反する」と言われてしまうことはないのでしょうか?大丈夫??


それぞれの立場から、自分はこの憲法で尊重される「人」なのか?と心配になるような憲法では、
「私も人として尊重されている」と安心することができませんね。

今の憲法13条が「個人として」とわざわざ「個」をつけていることで、
今のところ「私は対象なのか?」と考える必要がないことになっているのです。
どんな人でも、かけがえのない大切な「個人」なんです。
たった一文字「個」という文字の中に、それだけの意味が含まれているのです。

そういえば、「女性手帳」も最近話題になりましたね。


大切な「個」の字を外してしまう、自民党憲法草案。
どんな意図があるのでしょうか??

なぜ、ヘイトスピーチを規制できないのか?

最近、ヘイトスピーチ(特定の集団に対する攻撃的な、憎悪を表現する、といった表現行為)を伴うデモが話題です。
こういったデモを規制できないのか?と、疑問に感じる方もいるでしょう。

今のところ、ヘイトスピーチを伴うことだけを理由に、デモを不許可にして実施させない、ということはできません。
憲法は、有害な表現かどうかを権力が判断できるようにすると、いつか権力の都合のよいように使われる危険があるので、ひとまず自由にさせよう、と考えるからです。
「立憲主義」について、本ブログで何度も触れていますが、
権力が好き勝手できないように縛っておく結果、たとえ明らかに人を傷つけるような表現であったとしても、権力が制限することは簡単にはできないのです。

では、どうすればいいのか。
「在特会」のデモに参加する男性が、
「気にくわないなら表現の自由で対抗すればいい」と言っています。
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY201305020408.html
「表現の自由で対抗」とは、おそらく、
生まれたときから自由を持っている人が、抗議活動をする。
そうすると、それに反論したい人たちは、同じように生まれたときから自由を持っているので、
抗議に対する反論も自由にすることができる
(「在特会」のデモに対し、「仲良くしようぜ」のプラカードを掲げる行為がこれですね。)。
周りで見ている人たちも、どちらに賛成するか自由に決めることができる。
その結果、どちらかが間違っているならば、間違っている方の意見は味方がいなくなって自然にすたれる。
だから、わざわざ権力が規制する必要はない。
という意味でいっているのでしょう。

「そうはいっても、攻撃されている人たちは傷ついてしまってまともに反論なんかできない。
そういう弱い立場の人たちには、権力がヘイトスピーチを規制して味方をしてあげる必要があるんじゃないだろうか?」

「いや、そうやって権力に表現行為を制限する理由を与えたら、いつか悪用されるよ。
たとえば、政府を批判したら「権力を持っている人たちに対するヘイトスピーチだ!」って言われたりしないだろうか?」

…いろいろな考え方がありえますし、一人で考えてもまとめるのは難しいと思います。

でも、少なくとも、
こういうことに対して、自分でしっかりした意見が持てることって大事ではありませんか?
なんとなく気分で決めようとしたら、どっちの意見もそれなりに理由がありそうで、迷ってしまって決めることができません。
そりゃあそうです、どちらの意見にも理由があります。
その理由に、心から納得することがもしできたら、すごくスッキリすると思いませんか?
心から納得して、自分の意見を持つためには、きちんと知ることが重要です。

今、ヘイトスピーチを規制できないのはなぜなのか。
規制できる、と考えて大丈夫か。
意見を持てるように、憲法に関心を持って、学習会に参加して、ニュースに目を配って、
いろんな人と話してみませんか?


自民党改憲草案の前文ってどんな内容?

1.国民が基本的人権を尊重?

自民党草案の前文は、「日本国民はこうあるべき」という理想像をいくつか示しています。
そのうちの一つが、
「日本国民は、基本的人権を尊重する」、というものです(前文第3段落)。

あれ?
ちょっと不思議に思いませんか?

 このページで何度かご紹介してきたように、
憲法は、国家権力が国民の権利と自由を侵害しないように、権力を縛るためのものです。

すなわち、憲法において、国民の権利と自由を保障する義務を負うのは、第一義的には、国です。

にもかかわらず、自民党草案の前文には、
国が基本的人権を尊重するということは記載されておらず、
国民が基本的人権を尊重する、と書かれているのです。
 


 2.日本国民とはこうあるべき?

そのほかにも、「日本国民はこうあるべき」という理想像が、数多く示されています。

「国と郷土を誇りと気概をもって自ら守る」
「和を尊ぶ」
「家族や社会全体が互いに助け合う」
「自由と規律を重んじる」
「美しい国土と自然環境を守る」
などなど…

自民党改憲草案の前文では、全体として、「歴史」と「伝統」、「固有の文化」がとても強調されています。
私は、国が、歴史や伝統を重んじることが悪いことだとは思いません。
しかし、それと、国が国民の「あるべき理想像」を示すこととは、全く違う話です。

たとえば戦争のような事態になったときに、「国と郷土を誇りと気概をもって自ら守る」ことが国民の義務とされたら…?


 3.何のために憲法を制定するの?

繰り返しになりますが、立憲主義の考え方からすすると、憲法を制定するのは、「国民の権利と自由を保障するため、権力を縛る」ことが目的だということになります。

これに対し、自民党草案では、
「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」
とされています。

憲法を制定する目的も、国民のためではなく、国家のため、とされているのです。


 4.憲法の「主人公」は?

では最後に、前文のいちばん最初の文章を見てください。
日本国憲法は、「日本国民は」で書き始めています。
これに対し、自民党改憲草案は、どうなっているでしょうか。

書き出しは、「日本国は」です。

このことからも、自民党改憲草案における、「改憲の主役」はだれなのか、よくわかるのではないでしょうか。



◆自民党憲法改正草案はこちら
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
「前文」は、目次の次、第1条の前(上記のページでは2ページ目)に書かれている文章です。憲法の目的や精神、憲法制定の由来や憲法制定者の決意などが書かれるものです。

押しつけ憲法!?

 日本国憲法は占領軍による「押しつけ憲法」だ、
という主張は、改憲を唱える人達の強い論拠となって
いますし、自民党の自主憲法制定という党是の根底にも、
押しつけ憲法論が強く流れています。
 しかし、この主張は論拠としては非常にもろいもので、
言ってみれば「突っ込みどころ満載」な考えです (-_-;)


 大きく分けて2つのレベルでの反論がありえます。
 ① そもそも押しつけか否かなど改憲の是非の議論に
 とって意味がない。
 ② 押しつけではない。


。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.

 ①について考えてみましょう。
 立憲主義・民主主義・天賦人権・国民主権・平和主義、
これら近代民主主義国家の原則は、敗戦までの大日本帝国
憲法下にはありませんでした。それまでの「天皇を頂点と
した軍部独裁の政治」に終止符を打ち、日本が民主国家と
して生まれ変わるためには、憲法改正は必至の政策でした。
 しかし幣原内閣の下に設置された憲法問題調査委員会が
作った試案は、残念ながら明治憲法の焼き直しのようなもの
で、天皇主権は温存されたままで、民主的とは言えない内容
でした。そこで、GHQが案を提示しつつ、政府との間で草案
作成を進め、帝国議会に上程し、審議の末、大日本帝国憲法の
憲法改正手続にのっとり、日本国憲法が制定されたのです。

 一橋大学の阪口教授いわく、「意に沿わない結婚だったから
離婚しよう、という夫婦はいない。離婚したいのは、結局相手
のことが好きじゃないから離婚したいのであって、たとえ意に
沿わない結婚だったとしても相手のことを好きになったので
あれば離婚はしない」。
 押しつけだから改正せねばならない、というのは、憲法の
中身の議論を避けた、理屈になっていない主張といえます。
 押しつけ憲法論を主張する方々は、結局は、立憲主義や民主
主義、天賦人権等々の憲法の中身が嫌いなのですね。

 
 ②はどうでしょうか。
 議論の土俵を、「押しつけかどうか」というレベルに移した
場合、押しつけであるといえるのでしょうか?
 上記の通り、日本国憲法はGHQが突然「今日からこの憲法が
君たちの憲法だ」と言って発付したものではなく、帝国議会で
の審議と議決を経て制定されたものです。
 例えば一例を挙げると、
・GHQは当初一院制を想定していましたが、日本政府が二院制を
主張して、草案には二院制が取り入れられました。
・帝国議会の審議の中では、第1条の「国民の総意に基づく」や
第9条2項の「前項の目的を達するため」という文言が挿入され
たりもました。
  押しつけ?ではありませんよね。

。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.


 雑ぱくな説明になりましたが、このように、「押しつけ憲法論」
というものは非常にもろい主張です。
 このような主張を、いまだに自民党はじめ改憲論者が強力に
続けているのは、憲法の中身が好きでなく、とにもかくにも改正
したい、という執念ゆえなのでしょうか…

国防軍の権限ってどんなもの?

「国防軍の創設といっても、現に軍隊としての能力のある自衛隊があるわけだし、それが国防軍に名前を変えるだけで、今と変わらないんだからいいんじゃないの?」
という声をよく聞きます。

そこで、自民党改憲草案が提案する国防軍の権限を、いくつか見ていきたいと思います。

①「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するための活動」(草案9条の2第1項)。
草案9条2項は、集団的自衛権を正面から認めているのですから、国防軍の活動範囲が現在の自衛隊よりも格段に広がることは明らかです。

そして、草案は、国防軍が出動するために、国会の事前承認が必要とはしていません。最高指揮官である内閣総理大臣の判断によって戦争に踏み切ることが可能となっているのです。
一般によく戦争していると思われているアメリカですら、「戦争の宣言」を連邦議会の権限としていますから、アメリカよりも好戦的な規定ぶりとなっています。この点については、長谷部恭男教授(東京大学)が、朝日新聞への寄稿(今年2月14日朝刊)で批判しています。

②「国際協力活動」(草案9条の2第3項)
自民党Q&Aでは、「国際協力活動」として海外に派兵した場合でも、軍隊である以上、武力を行使することも制裁行動をすることも可能であるとしています。
これでは、「国際協力活動」を名目として、ほぼ制限なく武力行使が可能ということになってしまいます。
自民党の説明には、武力の行使について抑制的な姿勢は全く見られません。

③「公の秩序を維持する活動」(治安維持活動。草案9条の2第3項)
国防軍の権能の中には「公の秩序を維持する」活動が含まれています。自民党が作成したQ&Aでは、これを「治安維持」活動であるとはっきり述べています。
これを聞いて、戦前の治安維持法を思い出される方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。

たとえば、国内で大規模なデモや集会が行われたとき、「治安維持活動」として、国防軍がやってくるかもしれません。
草案21条2項で、表現の自由についても、目的が公益および公の秩序に反する場合は、その自由を認めないとして、表現の自由に対する制約をとても広げています。
この21条2項と、国防軍の治安維持活動の権限が合わさったとき、何が起こるでしょうか。

国防軍が、デモをしている人たちに銃を向ける、そんな日が、来ないとも限りません。
少なくとも、自民党草案の条文上は、これができる規定ぶりとなっているのです。

人権侵害ってあるの??

本日、講演をさせていただいたのですが、
そのときの内容はまた後日にさせていただき

その講演の前になされていた報告について書きたいと思います

いろんなところで講演をさせていただくのですが、

たまに、
人権が大切って言われても人権のことがよく分からない
歴史のことを言われても、いまとは違うんじゃないでしょうか?
という指摘を受けます

う~ん(^_^;)

人権って、侵害されてるって実感がないと、
本当にあるのかどうかすら分からないんですよね

無味無臭っていうか、
空気みたいなものっていうか。

でも、明らかに人権侵害だろって分かることもありますよね。
例えば、
現在でも、「民主化をすすめよう」というだけで、軟禁される国があったりしますよね
女性は車を運転してはいけないって国があったり
宗教が違うってだけで迫害を受けたり
これらが人権侵害だっていうのは、分かるんですよね
だって、日本にいる自分たちの当たり前さえ認められていないですからね。

逆に言えば
他の国では当たり前にできるけど日本ではできないことがあれば、それは人権侵害にあたりうるってことですよね。

例えば、
日本では、生活保護を受けられずに、餓死する、ってことがあります
札幌でも昨年、そういったことがありました。

例えば、
日本では、学校の先生が労働組合活動をやっているかどうか、他の人がやっているかどうかを強制的に調査することがあります
北海道でも、昨年、そういったことがありました

ほかにも、
例えば、
日本では、原発デモなんかに参加すると、その人の情報を国家機関に収集されることがあります
例えば
日本では、国家公務員が勤務時間外に全く職務と関係なく、政治的なビラを配布しただけで逮捕されることがあります

こういうことは、先進国ではないんじゃないでしょうか??


やっぱり、21世紀になった日本でも、人権侵害って身近にあるんじゃないのかなぁって思った
今日の講演会前の報告でした。

緊急事態条項?

今日は、緊急事態条項のお話です。
東日本大震災以降、憲法に緊急事態条項を作るべきだという話が急に出てきました。これはいったいどういうものなのでしょうか?

自民党改憲草案98条と99条は、緊急事態条項を定めています。これは、ものすごくてっとり早く言うと、地震や戦争などで内閣が「緊急事態」と判断したときには、
三権分立をやめて、内閣が法律と同じ効力のある政令を作れるようにする(国会の権限の重要部分を内閣にも与える)、
というものです。

では、緊急事態宣言がなされたらどうなるか。

緊急事態宣言がなされた場合には、「何人も」、国の指示に従わなければならないとしています(草案99条3項)。つまり国民も、企業も、地方自治体も、国などの指示に従う義務を負うことになります。
... 自民党は、緊急事態条項の説明として、「国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、その範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもありうる」としています(Q&A33頁)。ここで「大きな人権」に入っていないものの代表例は、政治的言論をはじめとする表現の自由ですね。
そうすると、内閣が緊急事態宣言をした場合、「国民の生命や身体の安全を守るため」という「名目」で、内閣に不都合な言論を禁止してしまうということが容易にありえる、ということになります。報道規制や、デモや集会の禁止、ということがすぐに思いつきますね。
緊急事態には国などの指示に従わなければならないわけですから、内閣に不都合な言論を禁止した場合、それに従わずに言論を続けたら処罰される、ということも想定されます。

こういったことが、内閣の独断でできるようになってしまうわけです。

以前にも書きましたが、立憲主義の考え方は、「権力は、放っておくと、圧政・独裁・暴走するようになる」という考えから、国民の権利と自由を守るためには権力を放っておいてはいけない、権力を縛らなければならない、というものです。
このことから、権力は1つのところにまとめておいてはいけない、立法、行政、司法に分けて相互に監視、抑制させなければならない、とされているのです。
みなさんが学校で習った三権分立も、立憲主義から生まれた考え方なのです。
 

 なのに、内閣が好き勝手にできるようになっていいのでしょうか?
 
そもそも、東日本大震災のときに緊急事態条項があったら、今より良くなっていたのでしょうか?

憲法改正草案102条1項(国民の憲法尊重義務)-立憲主義の否定

自民党憲法改正草案は、国民に憲法を尊重する義務を課しています(改正草案102条1項)。
「国民が憲法を尊重するのは当たり前じゃないの?」と思うかもしれません。
しかし、国民に憲法尊重義務を課すということは、憲法を根幹から覆す重大な問題なのです。

日本国憲法では、憲法を尊重する義務を負うのは、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員」(99条)であって、国民の憲法尊重義務は定められていません。
それはなぜでしょうか?
4月8日のブログで、「国民の権利と自由を守るために権力を縛るルール」が憲法であり、近代立憲主義の考え方だと述べました。別の言い方をすれば、憲法は、国民の権利と自由を侵害しないように、国家権力に対して「憲法を守れ」と言っているのです。
この近代立憲主義の考え方からすれば、憲法を尊重する義務を負うのは、国家権力を行使する側、つまり公務員であって、国民ではありません。ですから、日本国憲法は国民に憲法尊重義務を課していないのです。

国民に憲法尊重義務を課すことは、近代立憲主義とは相容れないことなのです。

最近「立憲主義」という言葉を目にしませんか?-96条改正と関連して

最近、「立憲主義」という言葉が新聞紙上に登場するようになりました。
みなさんは、この「立憲主義」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

立憲主義というのは、一言で言えば、「国民の自由と権利を守るために、憲法を制定して国家権力を縛る」という考え方です。
むかし、絶対君主の圧政によって、市民の生命や財産、自由が簡単に奪われる時代がありました。
市民が圧政に苦しめられた経験から、権力は放っておくと必ず独裁・暴走・圧政を敷くようになるので、権力が好き勝手なことをして市民の権利と自由を侵害しないように、権力を縛らなければならない、と考えられるようになりました。
その「権力を縛るルール」が憲法だ、という考え方が、「近代立憲主義」です。

このことから、「仮に形式的に憲法という名前の法典があっても、基本的人権の尊重と権力分立の保障がないものは、もはや実質的には憲法の名に値しない」(フランス人権宣言第16条参照)と考えられているのです。
立憲主義の考え方を採っていない憲法は、もはや憲法ではない、ということです。
その意味で、聖徳太子が作ったとされる17条憲法は、このような意味の「憲法」ではない、ということがよく言われていますね。

この「立憲主義」を別の観点からみると、憲法は、多数決によっても侵すことができない個人の尊厳を守るものだ、ということができます。
つまり、人は1人1人違う考え方を持ち、違う生き方をしているけれど、それを認めようじゃないか、過半数を取った人たちの考え方によってそれ以外の人たちの考え方を否定したり自由を奪ったりしてはいけない、というものです。
例えば、選挙でナチスが第1党になったからといって、ナチスとは異なる考え方を持つ人たちを逮捕したり処罰したり、ユダヤ人を迫害したりしてはいけない、ということです。


昨日(7日)、菅官房長官は、憲法96条改正が今年7月に行われる参議院選挙の争点になると発言しました。

憲法96条は、憲法改正要件を定めた条文です。
現行の日本国憲法は、憲法改正要件として、①衆議院と参議院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成による発議、②国民投票での過半数の賛成、を定めています。
自民党はこのうち、①の要件について、「総議員の3分の2」から「過半数」に要件を緩めようとしています。
そうなると、時の政権与党、あるいはそのときに国会で過半数を取っている人たちの考え方によって、憲法を改正することが可能となってしまいます。

憲法は、「過半数を取った人たちの考え方によってそれ以外の人たちの考え方を否定したり自由を奪ったり不公平に扱ったりしてはいけない」というルールを定めたものなのに、
そのルールが、過半数を取った人たちの考え方によって決まる。
それって、変じゃない?


自民党憲法草案は、他にも、立憲主義の考え方とは異なる条文がいろいろ出てきます。
それはまた、追って…。


ちょこっと、改憲草案レクでーす ( ̄▽ ̄)ノ

改憲草案に「緊急事態」という章が新たに設けられていること、
ご存知ですか?
国外からの武力攻撃や内乱・大規模災害等その他の法律で定める
緊急事態において、内閣総理大臣は「緊急事態宣言」ができる、と
いう制度です。
緊急事態宣言が出されると、内閣は国会の介入(審議)無くして、
法律と同等の効力を持つ政令を発することができてしまうんです。

国会は国権の最高機関であり国の唯一の立法機関なのにー!

しかも、その内閣の権力行使に対する国民の服従義務まで定め
られていて…

自民党はこれについて、国民の生命身体財産を守るためには
「小さい人権」が制約されるのはやむを得ない、と説明しています。
ち、ちいさい…??


服従義務があるということは、内閣の暴走に対して抗議デモなんか
したら、それは憲法違反になるということなのでしょうかね。
処罰もされちゃうんだろうなー

表現の自由は「小さい人権」扱いされて報道規制がなされたり、
土地や財産を収用されることも、容易に想像できます。
そもそも、
こんな制度がなぜ必要なのでしょう?
私たちは震災直後の混乱を乗り越えられたではありませんか。
どんなに動揺して命の瀬戸際に立たされても、略奪みたいな
暴動が起きるどころか、知らない人同士が互いに助け合う姿が
世界中に報道されて、賞賛されたではありませんか。


***

『愛知憲法通信』4月号で、この緊急事態宣言のこと、もっと詳しく
書いてあるので(当会の連載です!)、ぜひ読んでみてくださいね☆

Search

Archive