2013年8月24日土曜日

最高裁判事には表現の自由がない??

以前にもご紹介した内閣法制局の(前)長官
最高裁判所の裁判官に就任されたそうですね

その就任会見の際
集団的自衛権の行使容認について
「私自身は非常に難しいと思っている」
と答えたそうです

朝日新聞さんでは
「憲法判断をつかさどる最高裁判事が、判決や決定以外で憲法に関わる政治的課題に言及するのは、極めて異例だ」
と報道されていました
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130820-00000048-asahi-pol

また、
菅さん(元総理ではなく官房長官です)は、
「最高裁の判事ですから、公の場で憲法改正の必要性まで言及したことについては、私は非常に違和感を感じている」
と述べたそうです
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130821-00000042-jnn-pol


これ、考え方はいろいろあるんでしょうけども、
最高裁の方が、憲法問題を語ってはいけないんですかね??
なぜ??

よく言われるのは、最高裁判事が語ると影響が大きいから、ということなのだと思うのですが
その影響って誰に対するどのようなものなんでしょうかね?
下級審の裁判官は、司法の独立が保障されている(と憲法には書いてある)ので、影響を受けるはずがない(はず)ですよね
他方で、国民って、権威のある人が発言した、ということでそれほど影響受けますかね?


このブログで前にも出てきましたが、、
表現の自由が保障されるのは、
色々な立場から書かれた色々な情報や主張に触れて、その中で自分の意見を形づくっていくためのはずです
自分の意見を形成することで自分が成長し、いろんな意見が出ることで社会が発展するから、という見方もできますね

だから、最高裁の方であっても、発言はすべきなんです、本来。
「国民は、最高裁判事の発言に簡単に影響されて、簡単に誘導されてしまうから、最高裁判事は発言を慎まなければならない」
というのは、国民をバカにした発想じゃないかな、って思います

少なくとも私は、いろんな方の意見を広く聞いて、取捨選択して、自分の意見を決めたいと思っています
あと、個人的には、憲法問題すら語れない方に、最高裁判事をやってほしくないですね


「国民が最高裁判事の発言から影響を受けないようにする」っていうのは、「公益」ですかね?
だとしたら、自民党草案では、人権制約の根拠になるんでしょうね・・・・

2013年8月23日金曜日

はじまりはいつも学校現場


  原爆を描いた「はだしのゲン」が学校図書館から
閉架されたり、学校の教科書採択に際して教育委員
会が「日の丸・君が代が教育現場へ『強制』されてい
ると書く教科書は不適切」として不採択を促したりなど、
 最近、言論統制かしらと思うようなニュースは、全て
学校で起きています。

  以前、このブログで表現の事前規制がなぜ許され
ないか、を書きました。
 公権力が国民の間に出回る表現物を事前に「これは
読んでいい、これは読まなくていい」と取捨選択して手
渡すことは、正しい情報を得て考えて正しく評価して議
論したり書いたりする人間の知的活動そのものをマヒ
させることです。
 主権者国民が、尊厳ある人間として、主権者として
生きていくために、公権力が情報を「操作」することは
憲法上、許されません。

  ただでさえ、私達は多少斜に構えていても、偏った報道
にあおられたり、センセーショナルな記事に流されたりしま
すよね。ましてや成長途中の、情報リテラシーもままならな
い子どもは、素直に『大人(世間)のいうこと=正しいこと』と
受け入れます。それは子どもの純粋な面であり、だからこそ
危険な面でもあります。時の政治権力が、自分たちの思想
にふさわしい国民を育てるために、『子どもにはこういうこと
を教えろ』と学校教育現場に介入するのは常套手段なので、
そんなことが二度と繰り返されないよう、(教科書検定自体
が問題ではありますが、)教科書の自由な採択が侵害され
てはならないのです。

  教科書は学校で不採択になった場合、本屋で売ることは
できても現実的にはそれを買う人はほぼいないので、不採
択によって事実上『世間に出回らない』ことになります。
 また、子どもにとって学校図書館は無尽蔵に本がそろう大
切な知識の源です。そこにあった「はだしのゲン」が無くなる
ことは、小さな子どもにとっては『世の中』からそれがなくなる
のと大差ありません。


 つまり、どちらも、子どもにとっては言論統制なのです。

  日の丸と君が代が学校現場で教職員に対して強制されて
いる事実と、原爆のたとえようもないむごさ。子どもにこれを
教えないこと、子どもを戦争や歴史、核の問題について鈍感
にさせること、これが正しい教育だという発想でなされる、
言論統制です。

  改憲草案どおりに改憲がなされると、こういう介入は教育
現場どころか、出版・報道の世界でも日常的になりかねません。
「公益」「公の秩序」の名の下に、政府に都合の良い表現だけ
が出回る社会…民主主義のシステムがマヒする社会です。
 

 教育現場から、事実上の改憲がじわじわとなされていくよう
です。きちんと警鐘を鳴らし、これがどれだけ恐ろしいことか、
多くの人に呼びかけていきたいですね。

2013年8月19日月曜日

子育て中(あるいは予定)のママさん・パパさんへ

 子育て中のお母さん&お父さん、あるいは
お腹の中の赤ちゃんとの対面を楽しみに過ごしている
プレママさん&プレパパさん。
 親になると、世界と社会を見る目が変わりませんか!?

 ニュースや新聞を見るたびに、
 「この子の未来はどうなってしまうんだろう」
 「この子をどうやって守っていけばいいのだろう…」
 自分の未来よりもまず先に、子どもの未来を考えたりしませんか!?
 わたし達あすわか(当会の略称)にも、子育て真っ最中のメンバーがたくさんいます。
 弁護士として、というよりも、親として、
 憲法をめちゃくちゃに変えられるのを黙ってみているわけにはいかない、
 と言って、日々活動しているメンバーが何人もいます。


 私個人も、一人の子の親として、自分の子(そして全ての子)に、幸せな社会で育ってほしいと思っています
 
 私の思う、幸せな社会っていうのは、
 自由にものが言えない社会
 国民一人ひとりの幸せより御国の利益(公益)が優先されるような社会
 話し合いではなく暴力で紛争を解決しようとする社会
 とは正反対の社会です


 子どもができてからなんですが、、
 憲法のことを知り、考えることは、子どもの未来を考えることじゃないかって思うようになりました
 憲法には、国の形が書かれているから、当たり前っちゃ当たり前なのかもしれませんが


 そこで、あすわかから提案があります!

 子どもの食べ物の添加物を気にしたり、
 同級生からいじめられていないか気にしたり、
 通学路が危険じゃないか気にしたり、
 きちんと勉強についていけてるか気にしたり、などなどなど
 親として気にすることは山ほどあるけれど、
 子どもの未来を思うなら、
 憲法のことを同じように気にしてみませんか!?


 わたし達あすわかは、全国250名超の若手弁護士で構成されています。
 憲法について、もう少し詳しく知りたい、
 簡単な言葉で説明して欲しい、
 報道されない部分のことも知りたい、
 気になっていたことを弁護士に直接尋ねてみたい、
 そんなご要望に応えるべく、学習会のご依頼はいつでも大歓迎です。

 赤ちゃん連れのママ達との平日昼間の学習会も、開催できます。
小学生・中学生のお子さんと一緒の学習会もきっと楽しいはず。

 47都道府県全てに会員がいるわけではありませんが、
できるだけご希望に添う形で対応したいと思いますので、
 こんな勉強会もアリかな?弁護士呼べないかな?と思ったら、
まずはご連絡下さい!

2013年8月17日土曜日

はだしのゲンは教育上不適切???

はだしのゲン

誰もが知っている漫画の一つではないでしょうか

マンガでありながら、強いメッセージをもつ作品
子どもに読ませたいマンガとしても、よく挙げられますね

そのはだしのゲン
なんと、教育委員会が閲覧を制限したという報道がありました

http://www.asahi.com/shimen/articles/OSK201308160243.html

「松江市教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして、各校に閲覧の制限を求めた。
とのこと

これまでOKだったものを、突然「ダメ」っていうのもなんだか変な話ですね
ほんとはどんな理由なんでしょうかね?

これに反対するキャンペーンっていうのもあるようです
本当にネットでの表現活動って広まっていますよね

「はだしのゲン」を松江市内の小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい」
で検索すると出てくるそうです


さて、
表現の自由ってのは、こうやって、簡単に侵害されてしまいますね

「教育目的」って言われると、反論しにくいですし

特に今回は、すでに作者である中沢啓治さんが亡くなってしまっていますから、
「自分の表現の自由を侵害された!」とは言いにくいですよね

でも、その作品を見たい・聴きたい・感じたいと思っている方にとっては、
その表現に触れる機会が奪われてしまうんですよね

こうやって、
ちょっとずつちょっとずつ、表現作品が禁止されていって、
気が付いたら、自由にものを言えなくなる

まさに「茶色の朝」ですね



教育目的ってのは、「公の秩序」「公益」に含まれますよね、きっと

それなら、「教育目的」の人権制約は、自民党草案ならOKってことですよね

2013年8月16日金曜日

8月15日

日本で生まれ育った人にはなじみ深い「8月15日」。
この日付を耳にしただけで、いろいろなことが思い浮かぶことでしょう。

お盆には親戚が集まってお墓(お寺)参り。亡くなった方をしのびます。
そして、終戦記念日。これもまた、戦争で犠牲になった方々をしのぶ意味があります。




亡くなった人も、生きている人も、一人ひとりを大切な存在として噛みしめること。
人(自分自身も含め)が亡くなることを、素朴に怖い、嫌だ、と思う気持ちを大切にすること。

これが「亡くなった方をしのぶ」ということなのだとしたら、
それは、憲法13条の心(一人ひとりが、かけがえのない「個人」として尊重される。)にも通じるように思います。

大切な人、大好きな人になら、幽霊でも逢いたい!って思いますが、
「王様を縛る法」立憲主義ができる前の、
王様に上から与えられた“自由”しかない時代の憲法には、もう二度と復活してもらわないでいただきたいものです。


当会のブログで芸能ニュースを引用するなんて珍しい気もしますが、、
人気アイドル「ももいろクローバーZ」の皆さんの戦争や死を見つめる感覚が、
素朴だけどとても大事な、見失ってはいけないものだと思いました。

http://www.cyzo.com/2013/08/post_14198.html

(確かに、近現代史ってすっとばしますよね…3学期になって、時間がなくなって…)

パパに戦争に行ってほしくない。
大好きな人なら幽霊でも逢いたいけど、
本当は幽霊じゃなくて、逢って、話して、抱きしめあえるのが一番でしょ?
こういう当たり前の感覚を保っていられるのって、そんなに難しいことでしょうか。

そんなことを考えるお盆です。

2013年8月15日木曜日

集団的自衛権容認への「暴走」


 安倍首相は12日、

「将来の憲法改正に向けて頑張っていく、
これが私の歴史的な使命であると思っている」

と決意表明したそうです(NHKオンライン8月12日22:53)。

 故郷の後援会で述べたのだそうで、並々ならぬ
改憲への執念が伝わってきます。

 ひえ~~~、、、


 改憲という「悲願」達成に向けた行動力は呆気に
とられるほどで、集団的自衛権容認派の外交官を
内閣法制局長官にすげ替えるという異例な「無理を
通して道理を引っ込めさせる」人事を行いました。

 
 13日には集団的自衛権の解釈見直し(容認する)を
示唆する答弁書も閣議決定されました。

 以前も書きましたが、内閣法制局の憲法解釈の答弁は、
法令調査・立案・審査の職人集団による長年の研究の
成果です。

 戦後、55年体制以降の長期にわたる自民党政権下
(つまり改憲勢力の天下)において、どう理屈をこねくり
回しても、「集団的自衛権が認められると言えるわけが
ない」、という結論を変えることはできませんでした。

 今年5月の内閣法制局長官答弁も、「集団的自衛権は
わが国に対する武力攻撃に対処するものではなく、
(中略)その行使は憲法9条の観点で許されない」という
ものでした。

 集団的自衛権を容認するには、理論的には憲法9条を
改正するしかないのです。


 そんなさなか。
 安倍首相は私的に諮問機関「安全保障の法的基盤の
再構築に関する懇談会」を設置して、集団的自衛権の容認
(そして改憲)に向けた準備を整えています。

  その懇談会の北岡座長代理が、歴代内閣の集団的
自衛権に関する憲法解釈は「間違っている」と指摘しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130814-00000013-jnn-pol


 「私どもの多くは、今の内閣法制局の集団的自衛権に
ついての考え方は間違っていると思っているのです。
最初から」(北岡氏)


 安倍首相も、この「アドバイス」に沿って、日本政府の中枢の
長年にわたる研究の蓄積をバッサリと「間違っている」と斬り
捨ててしまうのでしょうか…。


 北岡氏は、集団的自衛権を容認したくば改憲すべきなのでは
という主張に対しては、

 「憲法を変えるのに大変な手間がかかるんです。安全保障は
安全保障で現実に待ってくれない状況があるわけです。その間、
非常に危険な事態が起こったら一体どうするのか」と反論します。


 9条の解釈をありえない感じに持っていって実質的に死文化
させて、その上で改憲する、という路線は、どうやら決まりつつ
あるようです。


 同懇談会は、年内にまとめる報告書に、集団的自衛権を共に
行使する対象国を米国以外に拡大する提言を盛り込むそうです。
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013081301001773.html


 「密接な関係にある国が攻撃を受け、日本に重大な被害が
及ぶとき」に集団的自衛権が行使できるとの趣旨の提言を
検討しているとのことで…

 この解釈が現実のものとなったら、9条の骨抜きどころか、
立派な軍事国家のできあがり、といったところです。
 このグローバル社会、どこかで戦争が起きれば、いくらでも
「我が国に重大な被害が及ぶ」と言えてしまえる気がします。


 軍事国家へと駆け上がるのか、転がり落ちるのか、どちらにせよ
暴走という表現したくなる動きを安倍政権が見せる一方、
 古賀誠元自民党幹事長は、雑誌『世界』9月号にて憲法に
ついて語っています。


 「愚かな戦争、これほど惨めなものはない、平和ほど尊い
ものはないと、つくづく思います。日本は二度と戦争をしては
いけない。このことは私の命のある限り訴え続け、次の世代
の人たちにつないでいく責任があると思っています。」
(古賀氏)


 自民党という政党の変貌と、日本社会の変容を顧みずには
いられません。
 

2013年8月11日日曜日

路上ライブ!(紙芝居)

ちょっと遅くなりましたけど、活動報告です

8月6日、広島に原爆が落ちた日ですが、
札幌の大通公園で、
路上紙芝居
やってきました

写真は追って掲載します☆

別な団体が宣伝をやっていたので、
便乗させてもらったってわけなんですが、

札幌支部(?)の二人でやってきました。

昼休みの大通公園は、
家族連れでとっても賑わっていました

「紙芝居やりま~す」とマイクで話すと、
ちびっ子が5名ほど(最年少は2歳ぐらい?)が来てくれて、真剣に聞いてくれました

一番熱心に聞いてくれたのが、ちびっ子でしたので、
紙芝居の内容も(その場で)ちょっとアレンジ!
伝わったかなぁ~

一緒にいたパパやママに、お話してくれたらいいな(^O^)
せめて、「悪い王様の紙芝居みたよ」と伝えてくれたら、
パパやママがネットで調べてくれませんかね??


今後も、機会があれば道行く市民の皆さんに、紙芝居を聴いてもらいたいと思います。


次は、もっと大きいサイズの紙芝居を作ってもっていきます

大通公園で見かけたら、ぜひお声かけくださいね♪

2013年8月8日木曜日

内閣法制局長官の人事と9条解釈


 報道によると、安倍内閣は内閣法制局長官に
小松一郎駐仏大使をあてる人事を決定したとのことです。


 内閣法制局は、簡単に言ってしまえば閣議に付される
法令についての調査や立案、審査を担当する、法律に
関する職人集団です。憲法に関しては、数十年にわたる
研究の積み重ねの上での政府解釈を答弁する頭脳部門
でもあります。

 改憲派の方々から、「9条は死文化してる」という主張が
なされますが、いえいえとんでもない自衛隊があり、海外に
派遣されていても、戦闘地域に派遣されることなく、戦闘に
参加せず、自衛隊員誰1人として人を殺さず、また殺され
なかったのは、憲法9条があるからです。
  どんだけイラクに「派兵」されても、「憲法9条は集団的
自衛権を認めない」という解釈を内閣法制局が崩さなかった
からこそ、アメリカ(同盟国)の戦争に参加することなく、
戦後68年間の平和が維持されてきました。

 内閣法制局長官に、集団的自衛権容認派の外交官である
小松氏を任命するというこのたびの唐突且つ異例の人事は、
まさしく、トップをすげ替えることで、この「政府解釈」をトップ
ダウンで変えたい、という政府の並々ならぬ意欲の表れです。


 集団的自衛権とは、要するに同盟国の戦争を我が国の
戦争として受け止めて、自国は攻撃されてもいないのに、
その戦争に参加する権利のことです。憲法9条が集団的
自衛権を認めている…どの角度から見ても、そんな解釈は
出てこない(法令解釈のプロである法制局であるからこそ
突拍子も無い解釈が出てくるはずが無いともいえる)のです
が、その「常識」を飛び越えた解釈が、この内閣の、新長官
の下、ついになされてしまう可能性が高まりました。


 9条を死文化させて、次に明文改憲をしよう、というのが、
安倍首相の「悲願」達成ののシナリオなのでしょうか。


 96条改正と同じ「姑息さ」を感じざるを得ません。
 自国を愛するが故の、確信を持った最善の改憲であるならば、
なぜ自信を持って真正面からの議論で内閣法制局の職人達に
勝ち、全国民を説得して改憲する、という真っ当なプロセスを
踏まないのでしょうか。

 自分に有利なルールにしてから変えようとか、自分に都合の
良い部下をトップにして法制局の膨大な知恵の積み重ねを崩
そうとか…このような不誠実な「手口」(←最近誰かが使った
ワードですね)が史実として残ることは不名誉極まりないこと
でしょうに、恥ずかしくないのでしょうか。


 主権者として一人ひとりがこの国のあり方そのもの(=憲法)を
考え、成熟した議論を展開するには時間がかかります。主権者
一人ひとりの幸せのための改憲なのだと(決して、国民は二の次
三の次、富国強兵のための改憲などではないと)いうのであれば、
国民の熟慮と議論の醸成を促し、見届ける気概を見せてほしい
ものです。

2013年8月6日火曜日

学校で憲法を語りませんか

8月5日(月),京都で「学校で憲法を語るつどい」が開催されました。
参加者数は約60名。高校の先生が中心でしたが,学生や弁護士・司法書士,記者など多彩な顔ぶれでした。

最初は,ポスターセッションということで,実際に学校で憲法の授業に取り組んだ方が6箇所に分かれて報告し,
それ以外の参加者は,自分の興味のあるところに行って報告を聞き,その後交流をするというスタイルでした。
あるポスターセッションでは,当会会員が高校の先生とコラボで立憲主義についての授業をしたことを報告しました。
当会の紙芝居を披露したところ大変好評だったということでした。

ポスターセッションが2セットあった後のシンポジウム(パネルディスカッションのようなもの)では,
新聞記者,大学講師,高校教員が,それぞれの立場から報告されました。

「教育現場では政治が語りにくくなっており,取材しにくい」という新聞記者の発言。
「在日コリアンの存在を知らないなど,学生の社会的無知・無関心が広がっている」という大学講師の発言。
これらの発言は,今の深刻な教育現場の実態をリアルに語ったもので衝撃でした。

一方,高校教員は,TVでも放映された,模擬投票を実施した授業を紹介されました。
その映像の中で,祖父の戦争体験を聞いて考えが変わったという生徒や憲法は自分の問題だから大人になったら絶対政治に関わると発言した生徒などが登場し,
このような生徒自身が憲法問題についてじっくり考える授業が,もっともっと広がればいいのにと強く思いました。

未来を担う子どもたちに憲法を身近なものとして考えてもらうことは,本当に大切なことです。
当会としてもこれからどのように関わっていけるか,検討していきたいと思います。

* * * *

当会では、憲法に関する勉強会やイベントでの講師の派遣を行っています。
peaceloving.lawyer☆gmail.com(☆を@に変えてください)
まで、お問い合わせください。

2013年8月3日土曜日

これがナチスに学んだやり口?

昨日、一昨日と話題になっている麻生副総理の発言に関連して、です


安倍政権は、内閣法制局の長官を交代させるとの報道がありました

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013080302000121.html
東京新聞2013年8月3日朝刊

内閣法制局っていうのは、
内閣が国会に提案する法律案の合憲性(憲法に違反していないか)を判断する機関です

これまで、
自衛隊が憲法9条に違反していない
自衛隊のイラク派遣は憲法9条に違反していない
という法解釈(理屈?)を作っていたのも、主にここです。

そして
この内閣法制局は、
日本の自衛隊は、自衛のための実力部隊であるから、日本が攻撃された場合以外その実力を行使できない、つまり集団的自衛権を行使することはできない
という法解釈(理屈?)をとっていました

だから、
内閣が、
「集団的自衛権を行使できる」という内容の法律案を
国会へ提案することは出来なかったんですね。


ところが、
自民党の石破さんは、
集団的自衛権は論理的に可能、という立場ですし
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013071502000105.html

安倍政権は、その集団的自衛権を内容とする
国家安全保障基本法
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-137.pdf
の国会提出を予定しています

そうすると、
集団的自衛権の行使を認めない
(=集団的自衛権の行使は憲法9条に違反するという解釈をとる)
内閣法制局に、意見(憲法解釈)を変えてもらわないとダメなんですよね

そこで
内閣法制局長官の交代をして
憲法解釈を変えてくれそうな方に変えたのではないか、と推測している報道です


確かに、これなら、
明文改憲をするほど(参院選前の96条改憲問題のときほど)国民(や学者・マスコミ)が大騒ぎすることなく、
それこそ
「ある日気づいたら」「変わっていた」
「誰も気づかないで変わった」
「わーわー騒がないで」「喧噪」のない中で決めた
ってことになりますもんね。

これが、ナチスに学んだ手口なんですね、


という皮肉を、ネット上でいろいろと見聞きしましたが、
実は、これと同じようなことが戦後の日本にあったんですね
全農林警職法事件というものですが、
詳しくはhttp://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1966.htmlをご参照ください

簡単にいうと
内閣の望む結論を出してくれそうな裁判官を最高裁判所裁判官に任命した
という出来事です


なるほど、麻生さん(を副総理とする安倍政権)は、ちゃんと歴史に学んでいますね!
(という皮肉でした、失礼しました)



こんなくだらない皮肉ばかりを言うのもイヤなので、
実際にはどういった内容の発言を、どういった流れ(前後の文脈)で言ったのか、
ご本人の口から説明していただきたいです

それが議論を前提とする民主主義なのかなって思いますし
有権者も判断に困りますし。

2013年8月2日金曜日

麻生副総理の発言

フェイスブックでは昨日紹介した話題です。

報道によると、麻生太郎副総理兼財務相は29日夜、都内で講演し、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及する中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べたそうです。

麻生副総理の発言について、全文を読むことができます。
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

誰もが「いけいけドンドン」となっているときの「喧騒」では、
大切なことが見えなくなってしまうので確かによくない。

でも、国民みんなが学習して激論をかわす「喧騒」は、
まさに憲法が守られて、みんなが言いたいことを言えている証拠。

静けさが意味するのは、紙芝居でいえば「王様の顔色ばかりうかがって」
つまり、権力の気に入らないことを言ったら不利益があるから、とビクビクして
みんな言いたいことが言えなくなっている、ということかもしれません。

王様を縛る法を、王様が国民を縛る法に変える改憲の前に、
静けさがあるのは必然なのです。
本格的な改憲の前に、憲法の精神を殺してしまえば、そりゃあ静かになりますもの。

私たち「明日の自由を守る若手弁護士の会」は、
これからも、学習と議論を呼ぶ「喧騒」を作り出します。


これからも、一緒に騒ぎましょう。
よろしくお願いいたします。