自民党の西田昌司参院議員が、先日開催された参院憲法審査会で
「教育勅語」を「日本人の伝統的な価値観だ」と評価しました…。
● 「日本文化で一番大事なのは教育勅語にある家族主義」
参院憲法審で自民・西田昌司氏が持論展開(東京)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/167355
教育勅語は、いざとなれば天皇のために命を差し出す「忠実なる臣民」
とはどんな人間か、を明治天皇が臣民に説いたものです。
日本はこれを徹底的に国民に教え込み、文字通り軍国主義まっしぐら
の歴史を歩みました。自由や民主主義といった思想とは真逆の世界観の
文書です。
その教育勅語を「いいことも書いてある」などと評価する方は、教育
勅語の本質を知らないか、知らないふりをしているか、どちらかです。
「普遍性のある部分もある」と述べる議員もいましたが、天皇のために
命を差し出す臣民になるべしという「普遍性のない」本質部分に、抑え
がたい執着がどこかあるのではないでしょうか。
また、孝行・友愛などは教育勅語を使わなくても教えられます。
わざわざ教育勅語を使う必要がどこにあるのでしょうか?わざわざ教育
勅語、なのは、「教育勅語でしか教えられないなにか」に抑えがたい執着
があるから、としか考えられません。それはまさに「いざとなれば天皇
のために命を捧げる“良き臣民”であれ」という本質への執着でしょう。
現代の公教育において教育勅語に出番があるとすれば、ただ1つ。
敗戦まで、国民がどのような思想に洗脳されていたか、どのような思想
をベースに日本がファシズムの道をひた走ったか、という負の歴史的証拠
としてです。それを肯定的に用いようとする政治家の人権感覚を疑わざる
を得ません。
ちなみに、1948年の衆議院「教育勅語等排除に関する決議」には
こう書かれています。
「これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いて
いる事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を
残すものとなる。」
教育勅語を再評価する政治家は、まずこの決議との整合性を説明す
べきでしょう。
この「教育勅語等排除に関する決議」がなされた際、森戸文部大臣は
見事にぶった斬っています。
「思想的に見まして、教育勅語は明治憲法を思想的背景といたして
おるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しが
たいものであることは明らかであります。」