この度の西日本豪雨災害により、お亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆さまにお悔やみを申し
上げます。また、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
連日30℃を超える暑さの中での救援活動や避難所生活がどれだけ
つらいか、想像するに余りあります。
避難所での不自由な生活を余儀なくされている方々の報道は、東日本
大震災を思い出させます。物資不足の中でも、生理用品や赤ちゃんグッズ、
アレルギー疾患のある方への食事など、見落とされがちなものが十分に
届いているでしょうか。
また、避難所では性犯罪が多発する上に、ただでさえ被害者が声を上げ
にくいのに「こんな災害の真っただ中でそんな文句言うなんて」と封殺
されるケースが多々あります。いつどこだろうと、性犯罪は重大な人権
侵害であり暴力であり、許されません。
すべての避難所での警備体制(特に人が身を隠せるような場所の把握と
巡回)と万が一被害が起きてしまった場合にすぐに声を警察に届けられる
体制が必要です。
さて、その「避難所生活」について、大前治弁護士が寄稿しています。
●自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56477
日本の避難所生活が「難民キャンプより劣悪」な水準のままな根本の原因は、
日本の行政が避難者を「支援を受ける権利と自己決定権を持つ者」ではなく
「支援を施してもらう者」として位置付けている点にあるという重要な指摘
です。生活保護など福祉政策と共通する問題です。
避難所で支援を受けるとき、当然の感情として「ありがたい」「わがまま
言っちゃいけない」と思うでしょう。しかし過度に「社会に迷惑をかけている」
「しんどくても文句を言ってはいけないんだ」と思う必要はありません。
国民の「人間らしい暮らし」を守るのは、国の当然の義務だからです。
その基本的な理解が行政に欠けているというのは、とても危険なことです。
「健康で文化的な最低限度の生活」が危ぶまれる国民には、国に対しそれを
守る支援を要求する権利があります。命と尊厳の危機に際し、「一体、国家
とは何のためにあるのか」考えれば、生活保護も災害救助も、理念は同じです。
災害大国の政府が「各自の自己責任で備えろ」とはねのけることは許されません。
被災された方々には、「人間らしい暮らし」を求めるれっきとした人権が
あること、いつでも確認し合いたいです。
・広島弁護士会
https://www.hiroben.or.jp/news_info.php?newsid=1135
・岡山弁護士会
http://www.okaben.or.jp/news/index.php?c=topics_view&pk=1531114389