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2014年4月26日土曜日
集団的自衛権の実例~うわ、結局戦争じゃん~ 1
皆さま,国立国会図書館はご存じのことと思います。
でも,この図書館はみなさんの町にある私立図書館や
学校の図書館と全く違う性質の図書館だということは
ご存じでしょうか?
「国会」図書館は,一体何が普通の図書館と違うのでしょうか…
国会図書館は、国立国会図書館法という法律に基づいて
設置されています。そこにはこう書かれています。
第2条 (目的)
「国立国会図書館は、図書及びその他の図書館資料を蒐集し、
国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の
各部門に対し、更に日本国民に対し、この法律に規定する
図書館奉仕を提供することを目的とする。」
つまり、国会議員のお仕事を助けるのが第一の目的になっているわけです。
さらにさらに-、お仕事に関する15条には、国会図書館内の
「調査及び立法考査局」が、①要求に応じて、両議院の委員会に
懸案中の法案又は内閣から国会に送付せられた案件を、分析又
は評価して、両議院の委員会に進言し補佐するとともに、妥当な
決定のための根拠を提供して援助する。②要求に応じて、又は
要求を予測して自発的に、立法資料又はその関連資料の蒐集、
分類、分析、飜訳、索引、摘録、編集、報告及びその他の準備をし、
その資料の選択又は提出には党派的、官僚的偏見に捉われる
ことなく、両議院、委員会及び議員に役立ち得る資料を提供する、
と書かれています。
国会の委員会からの依頼によって調査する場合と,独自に
予測をして調査する場合とがあるんですね。
調査員が独自に予測して行った調査(予測調査といいます)の
結果は論文としてまとめられ、その一部は,国立国会図書館が
発行する「リファレンス」や「調査と情報-ISSUE BRIEF-」という
刊行物となって,WEB上で公開されています。
ところで,というかここからが本題。
「レファレンス」2009年1月号の「集団的自衛権の法的性質
とその発達―国際法上の議論―」
(http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer2009.html),は
今議論になっている集団的自衛権について調査を行っており,
よくまとまった論文となっています。
もう,5年も前に国会図書館は独自に予測して、こんな論文を
まとめあげていたのですねぇ。国会議員が何を考え、どういう
議論が巻き起こるであろうか…その「要求」を「予測」する精度は
かなりのものです(あっぱれ!)。
この論文には、過去に世界中で主張された集団的自衛権の
実例が網羅されています(後述)。
今,政府は,集団的自衛権を「制限的に解釈」するから危険は
ないんだという趣旨の発言を繰り返していますが,果たして集団
的自衛権が制限的に行使されてきたかどうか?は,過去の実例
をみれば一目瞭然です。
とくとご覧あれ、ということで、数回に分けて、集団的自衛権の
実例を紹介していきますね!
1 ソ連/ハンガリー(1956年)
1956年10月、ハンガリーにナジ政権の復帰を求める反政府
デモが起きると、ソ連の軍隊がハンガリー領域に進入し大規模な
戦闘が行われた。ソ連は、国連安保理において、ハンガリー政府の
要請に基づき、ワルシャワ条約に従ってハンガリーを防衛するため
に行動した(集団的自衛権の行使である)と説明した。
しかしこの要請は、既に首相に復帰していたナジではなく、ゲレー
第一書記が行ったものであり、正当な政府による支援要請といえる
かは疑わしい。その後ナジ首相は、ワルシャワ条約機構からの脱退
とハンガリーの中立的地位を宣言し、連立政府を組織したが、ソ連
軍はハンガリーの抵抗を打破し首都を占領した。国連では、ソ連の
撤退を要請する安保理決議案がソ連の拒否権行使により否決され
たため、米国の要請により緊急特別総会が開催された。緊急特別
総会でもソ連は、ハンガリー正当政府の要請に基づき、ワルシャワ
条約に従って軍隊を展開したと主張した。
2 米国/レバノン(1958年)
諸宗教・宗派のモザイク国家であるレバノンでは、イスラム教シーア
派その他の貧困層の人口増加に伴い、支配階級にあるキリスト教
マロン派に対する不満が高まりつつあった。その後内乱が発生すると、
レバノン政府は、アラブ連合共和国がレバノンの内政事項に干渉して
いると国連安保理に報告した。安保理はレバノンに国連監視団を派遣
することを決定した。しかし7月にUNOGILは、アラブ連合共和国からの
干渉の証拠を見出せないとの報告を安保理に提出した。これに不満を
持ち、また同時期に起きたイラクのクーデターの影響が自国に及ぶこと
を懸念したレバノン政府は、米国に対し軍事介入を要請した。
これを受けて米国はレバノンに派兵し、安保理において、自国の行動
は国連憲章第51条による集団的自衛権に基づいた行動であると説明した。
3 英国/ヨルダン(1958年)
ヨルダンはアラブの中でも最も親西欧的な国であったが、1950年代
初めから国民によるアラブ民族主義運動が高まっていた。ヨルダン
王室は、1958年2月に、同じく王制を敷くイラクとアラブ連邦を結成し、
王制を守ろうとした。しかしその5か月後、イラクではクーデターにより
王制が倒れ、共和国が誕生した。
そこでヨルダンは、アラブ連合共和国による脅威からヨルダンの
独立を守るべく、国連憲章第51条に基づき英国に軍事援助を求めた。
英国は、直接又は間接侵略に対抗するための支援要請を受けた国
はそれに応える権利を有すると強調し、ヨルダンの要請を受け、その
領土の保全と政治的独立を守る目的のため派兵した(集団的自衛権
を行使した)と安保理で説明した。