私たちには、生まれながらに自由や権利があります。 私たちには、言いたいことを言って、伝えたいことを伝える自由(表現の自由)があります。 私たちは、これまで身近に感じられなかった憲法について、多くの方々と一緒に情報共有ができたらと思って、このブログを立ち上げました。 たま~にでいいので、ぜひとも立ち寄ってください。 FacebookやTwitterもやっています ご注目ください! facebook:http://www.facebook.com/asunojiyuu Twitter:https://twitter.com/asuno_jiyuu お問い合わせは、peaceloving.lawyer@gmail.comまで なお、みなさまが入手された当会作成のリーフレットや声明文の使用方法については、当会では責任を負いかねますので、一般常識や各種規則に則ってご使用くださいね。
2019年8月5日月曜日
「日本人の心」「国の名誉」で表現がつぶされる社会
日本国憲法 第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、 これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。 通信の秘密は、これを侵してはならない。
私たちには表現の自由が保障されています。
「国の名誉」?
「日本人の心」?
誰も確かめたこともない、謎なものを理由に権力が国民の
表現の自由を奪うことは許されません。
ちなみに、自民党は改憲草案で21条に
「前項の規定にかかわらず、 公益及び公の秩序を害することを目的
とした活動を行い、 並びにそれを目的として結社をすることは、
認められない。」
と書き加えています。
公益。
公の秩序。
正直言って、分かりませんよね、定義なんて。
どちらも国民には掴みどころがなく、行政(警察)の胸三寸な概念です。
だからこんなものが書き込まれれば、私たちは必ず
「この作品って公益を害するのかな💦?何かあったらヤだから、
やめとこっか」
「これって秩序とかにひっかかるのかな(*_*;)?…心配だから
今回はしないでおこう」
と委縮します。
改憲草案を見ると分かるのは、自民党は、権力や警察が「そんな
表現は国益を害する!」と叫べば言論や芸術作品が封じられる社会
を理想としている、ということです。
そうやって、誰も何も言わない、誰も何も議論できない社会を
作るのが、目的です。
あいちトリエンナーレの展示が名古屋市長の恫喝とテロ予告など
の攻撃で中止に追い込まれる社会は、その社会に間違いなく近づ
いています。