私たちには、生まれながらに自由や権利があります。 私たちには、言いたいことを言って、伝えたいことを伝える自由(表現の自由)があります。 私たちは、これまで身近に感じられなかった憲法について、多くの方々と一緒に情報共有ができたらと思って、このブログを立ち上げました。 たま~にでいいので、ぜひとも立ち寄ってください。 FacebookやTwitterもやっています ご注目ください! facebook:http://www.facebook.com/asunojiyuu Twitter:https://twitter.com/asuno_jiyuu お問い合わせは、peaceloving.lawyer@gmail.comまで なお、みなさまが入手された当会作成のリーフレットや声明文の使用方法については、当会では責任を負いかねますので、一般常識や各種規則に則ってご使用くださいね。
2019年8月6日火曜日
人権の基礎知識:公権力が「表現の良し悪し」を評価してはいけません
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での「平和の少女像」
などの展示について、名古屋市の河村市長は展示を視察後、展示へ
の嫌悪を表明し、愛知県知事に展示の中止を求めました。
その後テロ予告などもあり、知事と芸術監督の判断で、展示は
本当に中止になってしまいました。
● 名古屋市長、関係者に謝罪要求 少女像展示で (共同)
https://this.kiji.is/530378433990181985?c=39550187727945729
河村市長の表現への恫喝と介入は、重大すぎるほど重大な
「表現の自由」への侵害です。
市長は、中止を決めた決定権者ではありませんが、実行委員会
メンバーとして影響力があり、発言が事実上の圧力になった
ことは明らかです。
そして、その発言からは、市長に憲法や人権の基本的な理解が
まったくないことが明らかになっています。
例えば、
「慰安婦を象徴する少女像の展示は『数十万人も強制的に収容
した』という韓国側の主張を認めたことになる」→だから展示は
撤去してしかるべき。
「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかん
と思う」
名誉棄損や侮辱、近年ではヘイトスピーチなど、「人の尊厳・
命を具体的におびやかす犯罪」として例外にされたものは途方も
なく長い議論の末に「表現の自由」の例外とされました。
それ以外のものを「表現の自由の範疇にない!」という場合には
よくよく、慎重に吟味しなければなりません。
表現したいことを表現したいときに表現したいスタイルで表現
する自由は、人間が個人として生きていく上では決定的に重要な
ものです。
自分らしく生きる。自分が「なりたい自分」に近づく。
そのために表現は欠かせません。
また、表現できなければ、議論が成り立たないからです。
ものを知り、考え、議論し、反論され、また考え、表現し、議論
する。
この永遠のループ、知的な営みがなければ、民主主義がまともに
機能するわけがないんどえす。
民主主義の歯車を正常に回し続けるためには、自由に意見が飛び
交う社会を保持しなければならない。
だから人の「表現の自由」を公権力が奪ってはならないのです。
そこへ来て、河村市長の発言。
日本国民の心を踏みにじるからいかん??
日本人の心とか、そんなつかみどころのない、誰も確かめられない
ものを理由に表現の自由を奪っていいわけがない。
ここには2つの気持ち悪さがあります。
① この作品が“日本国民の心”を踏みにじってる」のかどうか、
なんで市長が判断できるのでしょうか。
判断できるわけありませんよね。「え?私の心、別に踏みにじら
れてないんだけど。」という方は少なからずいらっしゃいます。
誰も判断できないようなものを持ち出して勝手に「踏みにじってる」
と認定する。
公権力が「国の名誉」「国民の心」「国益」など、ボヤっとした
つかみどころのない概念を持ち出したときは、警戒すべきです。
それは公権力の胸三寸でどうとでも形を変え、公権力の都合のいい
方向に政治を動かす根拠として登場するからです。
② 公権力が、その意味不明なものを理由に「だからこの作品は
良い/悪い」と評価することは、「表現の自由」の侵害です。
(上手か下手かという意味の「良し悪し」のことではなく、「表現
の自由」の枠内か例外か、という意味の「良し悪し」です。)
その作品がよい作品か悪い作品か、判断するのは主権者国民です。
だから作品は展示されるべきなのです。公権力が「国民は、公権力
がお墨付きを与えた“良い作品”だけ見てればいいんだ」と勝手に
作品の良しあしを評価するなんて、ありえないのです。
繰り返しますが、その表現が良いか悪いかを評価するのは、
主権者国民です。
「すごくいいね」「え~~、ビミョーじゃない?」「でもこういう
見方もあるよね」とみんなが議論して価値を確認し合えばいい。
そうやって社会は、人々は、いい方向に進んでいけるし、より一段
高いステージに向かえるのです。
まずは、この点を、何度でも確認しませんか。