2019年8月7日水曜日

天皇は日本国の「象徴」以上でも以下でもなく



● 衆議院議員 長尾たかし氏のツイート 
 
https://twitter.com/takashinagao/status/1158350617829507073

@takashinagao
「昭和天皇の御真影を焼く行為。問答無用!芸術とは言えない!
この表現の自由は断じて認められない!憲法第二十一条?
それよりも第一条を心得よ!」  


● 那覇市議会議員 大山たかお氏のブログ
 「あいちトリエンナーレ2019」不敬すぎる! 

 「なによりも許せないのは『皇室に対する表現です』」
 「日本人として『皇室に対するヘイト』という不敬な行為に
ついても考えなければならないのではないでしょうか。」

 
 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に
出展されていた、昭和天皇の写真が燃えているように見える作品
について、「御真影を焼くなど不敬だ」という言い方での批判が
散見されます。

 不敬…?

 あれ、今は戦前だったかな。


 ということで気になったので、天皇の地位について、憲法を
今一度確認してみましょう。


 日本国憲法 第1条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の

象徴であって、この地位は、主権の存する日本
国民の総意に基く。



 天皇は、日本の「象徴」であり、それ以上でもそれ以下でも
ありません。
 象徴(シンボル)だよ、と言っているだけで、それ以上に、
「敬うべき人だよ」「高貴なお方だよ」なんてことはヒトコトも
言っていません。

 それどころか、その象徴という地位は「主権の存する日本国民の
総意に基づく」という設定がされています。
 日本国民が「象徴には、あの人になってもらおう」とみんなで
決めたから、彼は天皇の地位についている。
 日本国民の「総意」が変われば、話は変わってくる、という、
そういう関係です。


 戦前、天皇は「神聖にして侵すべからず」と大日本帝国憲法に
定められていた“現人神”で、絶対君主すぎる信仰の対象でした。
その印象が強くて混乱している人がいるのかなと思いますが、
そういう「ほぼ神っていうくらいの絶対君主」という地位は、
敗戦により消え去りました。


 今は、もちろん神なんかではなく人ですし、象徴「でしか」
ありません。
 日本国憲法は、法の下の平等(14条)を保障して「人は生まれ
ながらにして平等」の思想を土台にしています。
 (象徴という地位についている関係で、彼とその家族(皇室)の
基本的人権は著しく制限されています。なので象徴天皇制という
制度が、日本国憲法に内在する大きな矛盾ではあるのですが、
それを言い始めたら終わらないので割愛…)


 ですので、憲法が「象徴である天皇は敬うべき存在だ」という
わけがない。


 そういうことからして、
 「天皇は高貴にして神聖でやっぱり現人神で、写真を燃やす
なんて不敬だ」と思う人がいても、自由なので構いませんが、
 公権力がそんな世界観で表現内容を「不敬だ」と断罪して規制
するなどということは、ぜったいにやってはいけない。

 国会議員など権力側に立っている人間が、ある作品を「不敬だ」
と言って規制を求めることは、表現への許されざる介入で、憲法
尊重擁護義務にも反します。

 「こんな不敬な作品、展示が許されるはずがない」という言い方
で批判する方々は、よくよく学んでほしいし、批判の仕方を変えて
ほしいな、と思います。
 そういう価値観・信仰を持って、その展示作品を「不敬だ」
「不快だ」と批判するのは自由です。存分に発信すればいい。
 しかし、行政に展示の中止(表現規制や検閲)を求めるのは
筋違いです。
 天皇は敬うべき高貴な存在で不敬な作品は許されないという
世界観は、日本人共通のものではないし、日本の“公式な”世界観
でもない。
 「いろいろある世界観」の中の1つにすぎません。