2015年7月31日金曜日

姫路市が政権批判を理由に行事を中止させた!?

7月24日、労働組合が駅前広場で開いた行事で、政権を批判するビラを貼ったりしたことを理由に、姫路市がその行事を途中で中止させていたというニュースがありました。
 朝日新聞→ http://www.asahi.com/articles/ASH7W5F37H7WPIHB01L.html


え、えええええ!?


行事をすること、ビラを掲示すること、寸劇を行うことは、集会の自由や言論の自由そのもので、いずれも憲法21条の表現の自由の一種です。


記事によると、姫路市は「他者を批判することは広場利用の趣旨にそぐわない。政治的な内容だからということではない」と言っているようです。
政治的だからかどうかをおいたとしても、「他者の批判」を理由として集会そのものを中止させた、ということなので、
「表現の内容を理由として表現の自由を制約した」
ということになります。
これって、いちばん表現の自由に対する侵害度の高いことなんです(ヘイトスピーチのような場合はまた別です)。
まぁそもそも、他者を批判するのがダメというのはそもそも非常に政治的だと思いますが…。


広場利用の趣旨に合うか合わないか、というのも、表現の自由を制約する理由としてよくわかりませんよね。
自民党改憲草案21条2項は、「公益及び公の秩序を害すること」を目的とする表現活動の制約を認めています。
今回の姫路市のようなよくわからない理由で制限することが、憲法上問題なくなるというわけなのでしょうか。とても怖いですね。


戦前戦中の日本で、表現の自由はないも同然でした。
治安維持法よりもずっと前にできた治安警察法でも、秩序を乱す恐れがある場合に、警察官が集会の解散を命令したり、集会での議論の中止を命令したりすることができました。
選挙では、野党の演説に対して警察官から「弁士注意」「弁士中止」の声が飛んだりしていました。
表現活動が制約された中で、日本が戦争に突き進んでいったわけです。
姫路の今回の事件を聞いて、「戦前じゃあるまいし!?」と思ったのは私だけでしょうか。


戦後70年の夏、戦争にまつわる映画やテレビ番組、書物などが多くあります。今夜も「永遠の0」がテレビで放送されますね。
歴史は、知識として得たり、それに感動したりすることも良いのですが、それだけでなく、
そういった歴史をふまえて未来にどう活かしていくか、ということのほうがより重要だと思います。


戦前、表現の自由を制約した日本の歴史をふまえ、
表現の自由を民主主義の根幹をなす権利として特に保障した日本国憲法をふまえ、
表現内容を理由として不当に表現行為が制約されることのないよう、全国の自治体に強く求めます。