2018年10月5日金曜日

【柴山文科相がさっそく教育勅語いいじゃん的な発言 orz ②


 現政権や自民党の方々は、教育勅語への肯定的な評価を隠しません。
 すでに教育勅語について、「憲法と教育基本法に反しない形で、教材として用いること
までは否定されることではない」という閣議決定までされています。

 柴山議員文科相が教育勅語を「普遍性を持っている部分が見て取れる」と評価し、
「同胞を大事にするなどの基本的な内容について現代的にアレンジして教えていこうと
いう動きがあり、検討に値する」とも述べたのも、現政権の方針に沿った、自民党的には
一貫した「当然の」コメント、と言えるかもしれません。

●初入閣の柴山文科相、教育勅語“普遍性持つ部分ある”(TBS NEWS)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn…

 この閣議決定…「憲法と教育基本法に反しない形で」の教材として用いる、というのは、
具体的にどういう使用方法を想定しているのかなと、謎が深まるばかりです。
 肯定的に評価する自民党議員の方々からはほぼ毎回「教育勅語には夫婦仲むつまじくとか、
いいことも書いてある」という“擁護”の発言があります。
 しかし、そういう夫婦や家族・兄弟・友達との愛情・友情についての「徳」を生徒に伝え
たいのであれば、教育勅語を使わなくても十分教えられます。

 わざわざ教育勅語を使う必要など、あるとは思えません。



 この「わざわざ」がポイントなのです。
 わざわざ教育勅語を使いたいと考える、というのは、「教育勅語でしか教えられない
なにか」に抑えがたい執着があるから、としか考えられません。
 それはまさしく、教育勅語を貫く「いざという時(戦争)になれば、天皇のために命を
差し出す“良き臣民”であれ」というメッセージです。
 このメッセージに共感するからこそ、どんな形で教育現場に用いることができるか、
絶えず“試行錯誤”なさっているのだ、と、思われます。

 あえて真面目に「どんな使用方法があるのか」考えてみると、
 個人の尊厳、自由、平等、民主主義、国民主権など、近代の人権思想をベースにした学校
教育の現場で、教育勅語を登場させる場面があるとすれば、ただ1つ。70年前、敗戦まで、
国民がどのような思想に洗脳されていたか、どのような思想をベースに日本がファシズムの
道をひた走ったか、という負の歴史的証拠としてです。

 「美しい日本」「日本を取り戻す」とさかんに叫ぶ方が、教育勅語を高く評価している
傾向がある気がします。
 どんな国家を、どんな社会を思い描いて「取り戻そう」としているのか、不安な気持ちに
ならざるを得ません。