2014年6月25日水曜日

そんなカクギケッテイ、ありえなすぎて、サッカー観戦に集中できません


 サッカー観たいのに…
 しかもウィンブルドンも観たいのに…
 報道によると、24日、集団的自衛権の行使をめぐる与党協議において、
自衛権発動の「新3要件」の修正案が提示されたとのことです。
公明党執行部も大筋で了承する方針で、与党が近く合意し、解釈改憲の
閣議決定をするそうです。


 憲法で縛られているはずの国家権力が憲法の読み方を勝手に変える、
 「戦争放棄」が放棄される、
 国民の意思が全く問われないまま、国のあり方が根本的に覆される、
 そんな瞬間に、民主主義国家の主権者であるはずの私たちが、立ち
会わなければならないのでしょうか。


集団的自衛権容認で大筋合意 公明、文言修正で妥協
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140624-00000048-asahi-pol
 
 もう一度、そもそもの自衛権発動の3要件をおさらいしてみましょう。
もちろん、日本は戦争放棄して専守防衛に徹しているので、今現在の
「自衛権発動の3要件」とは、「他国から攻撃された時の反撃の3要件」です。


 ① わが国に対する急迫不正の侵害があること
 ② この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
 ③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと



 これが、24日に与党協議で自民党から示された「新3要件」では、
このように様変わりしています。


 ①' 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な
関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立
が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆され
る明白な危険があること
 ②' これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に

適当な手段がないこと
 ③' 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という3要件に該当する場合の自衛の措置としての『武力の行使』に限られる。



 …これが、どれだけ際限のない「戦争への口実」になってしまっているか、
お分かりになるでしょうか。
 ①’は、結局アメリカがどこかの国から攻撃されたら、日本は他国の
戦争に参戦できることが書かれているのです。「これにより我が国の
存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から
覆される明白な危険があること」などという文言に、何の制約の力も
ないこと(そんなことはどうとでも言えること)は明らかですよね。

 ②'の「我が国の存立を全うし」という言葉の意味も、分かりません。
時の政権がどっかの国と国の戦争を見て、「この戦争は我が国の
存立にかかわる(ってことにする!)」と見なせば、それで参戦できて
しまうことになるのです。


 そして、この(要件という概念に反する)「新3要件」は、
集団安全保障への参加を可能にしかねないものなっています。
 先日、突然自民党が提案した集団安全保障。

 それ、なによ突然? と。

 国連の決議に基づいて多国籍軍に参加して、戦争することです。
 イラク戦争でイラクと戦った多国籍軍のような、あれです。
 つまり、自衛隊が日本政府の指揮を離れ、国連の指揮の下で
参戦するわけです。
 憲法9条は「国際紛争を解決する手段としての武力行使」を放棄
していますが、もう、どこをどう読み替えるとかいうレベルではなく、
この条文を無視して、「国際紛争を解決する」口実で参戦することに
しよう、というのです。
  
 与党協議で示されている「新3要件」は、集団安全保障への参加も
可能になっています。


 まさか、9条護持を信念とする公明党が、このような「憲法の蹂躙」
「立憲主義の破壊」を容認するとは思えず、報道が間違いであることを
期待するばかりです。

 しかし万が一、公明党が、党是や信念よりも、政権与党に組みし
続けるという結論だけにしがみつく選択をするのであれば、

 私たちは、立憲主義の崩壊を見ることになります。
 「戦争放棄」をうたい、実践し、実績と信頼を積み重ねてきた歴史に
つばを吐く瞬間に立ち会うことになります。

 そういう国の、そういう政権を選んだ国民として、子どもにどんな国と
未来を残してあげられるというのでしょうか。