日本社会での、夫婦や家族の多様性について。多様性という言葉は
便利ですが、要は人権や差別の問題です。
政権与党と極めて懇意な関係にある「国家基本問題研究所」の
副理事長は、そうしたものを無視して「家族の一体性」を守るべきだ
と語っています。
● 「家族の一体性守るべきだ」
国家基本問題研究所の高池副理事長 (毎日)
https://mainichi.jp/articles/20210713/k00/00m/030/391000c
「日本の家族の原則は、異性同士の夫婦が『家』を継いで子ども
を持つことです。根底には、明治憲法下の旧民法で規定された、
戸主が一家の頂点に立つ『家制度』の意識があり、戸籍における
夫婦同姓が、家族の一体性を示してきました。」
仮にその「原則」が本当にあるとして、何故その「原則」に縛ら
れないといけないのか、ですよね。「原則」が“個人の尊重”という
根源的な人権思想と相容れないなら、変えようという話です。
が最優先です。
「日本では現在、『選択的夫婦別姓制度』の導入を巡る議論が注目
されていますが、これについては反対です。夫婦が別の姓を名乗る
ことで、家族の一体性が失われる可能性があるからです。
通称の使い勝手を良くするなど戸籍の記載以外で不都合なところを
直せば、それですみます。」
姓を奪われる人権侵害や性差別を放置してまで、何故その謎な
「家族の一体性」が優先されなければならないのか、何も答えて
いません。姓が一緒でなければ愛情が育めないカップルは同姓に
すればよいし、それぞれの姓のまま家族になりたいカップルは別姓
を選ぶ、という誰も不幸にならならい制度を反対する理由は、謎の
ままです。それまで自分のアイデンティティの一部であった姓を
失う苦しみは、通称使用では治癒できません。
「同性同士の結婚は認めるべきではない。パートナーとして一緒に
暮らすのは問題なくても、結婚は異性同士がするものであり、夫婦
が戸籍上、同姓となり、子どもを持つことを家族と呼ぶべきなのです。
この観点から、同性カップルが結婚して同じ姓を名乗ることは家族
の原則から外れます。」
自分が固執する「あるべき家族」と異なる人々を徹底的に排除する
狭隘な考えは、憲法と対極にあります。子どもがいないすべての夫婦
への冒涜でもあります。このような価値観の団体と共鳴し合う政権
与党の政治に、差別のない社会を目指す政治は、期待できません。