2018年6月25日月曜日

憲法カフェレポート☆ 相模原で「アウシュビッツが問いかけるもの/モリカケ問題と憲法」


 憲法カフェのレポートです☆彡

 6月23日(土)、相模原市の鵜野森にて、憲法カフェが開催されました。
 講師はあすわか共同代表の黒澤いつき。


 この日のテーマはなんと、「アウシュビッツが問いかけるもの、
モリカケ問題と憲法」。
 黒澤が、ホロコーストの記憶をたどってポーランドを1週間歩いてきた
直後の企画ということで、「アウシュビッツ」と「モリカケ問題」という
異なる2つの切り口から、民主主義や立憲主義というものを新ためて見つめ
なおす機会になりました。


 ヘイトスピーチがなかなかなくならない日本。
 在日コリアン・朝鮮人への耳をふさぎたくなるような罵倒・中傷やデマの
流布が、後を絶ちません。


 過去・現在を問わず、経済不況とはびこる人種(民族)差別が絡み合うと、
ありもしない「自分たちの民族の優位性」に酔ったり、「個人より国家」
「人権保障より軍拡」「自由より秩序」を標ぼうする政治への支持が高まり
ます。日本だけはそうならない、などと言えるわけがありません。


 憲法カフェでは、ナチスは暴力で政権を掌握したのではなく、あくまでも
民主的な手続きで選ばれた、という歴史をまず振り返りました。
 当時のドイツ国民全員が反ユダヤの差別的な思想に染まっていたわけでは
なく、当初は多くの人々が(ユダヤ人迫害ではなく)失業対策・経済政策を
期待してナチスを支持した、という事実も、見逃してはなりません。
 政府が繰り返す「戦争を正当化する宣伝」や、「ユダヤ民へのイメージを
汚す宣伝」に流されることが、究極的になにを招いてしまったか…




 モリカケ問題も、民主主義社会に生きる私たち主権者に問いかけることは
数多くあります。まずなによりも、臨時国会が開かれなかったこと。野党議員
たちが憲法53条に基づいて臨時国会の開会を求めたにもかかわらず、政府
・与党はこれを無視し、「国難突破解散」。私たち主権者は、首相はじめ
政権に携わる人たちが、森友学園や加計学園となにをおこなったのか、その
真相を知らされないまま選挙に向き合わなければなりませんでした。

 憲法は国民審査という制度を用意しています。私たち主権者が、司法権が
ちゃんと憲法の番人として機能しているか直接審判を下せる唯一の機会です。
でもその機会もうまく活かせていません。加計学園の監事をしていた木澤
裁判官は、国民審査に際し、その経歴を削除しました…。

 選挙後の国会で政府与党が何をしたかといえば、野党の質問時間を削除
しました。当時、あすわかは繰り返し発信しましたが、国会の審議の核は、
野党の質問時間です。政府与党が提案してきた予算や法案が人権上問題ない
のか、憲法上問題ないのか、本当に必要なものなのか厳しくチェックして
質疑・批判できるからこそ、よりよい予算・法が民主的に作られるのです。
 野党の質問時間が減ることは、それだけ国会が意味なきものに堕ちると
いうことです。

 そして公文書の改ざん… 一体なにを土台にして国会で審議すればよい
のでしょう。


 民主主義というシステムの、ある種の弱さと、向き合わなければなり
ません。それは、システム自体が優秀でも、そこに生きる人々の意識の高さ
低さ次第で、より磨かれることもあれば、死に体と化すこともある、という
事実です。

 黒澤は「加害者にならないためには?子どもが加害者にさせないために
は?」という問いの答えを知りたくて、すがるような気持ちでアウシュビ
ッツ=ビルケナウまで行きました。もちろん一気に解決できるような
「こうすればいい」という策は見つかりません。ただ、広大なビルケナウ
の敷地に立って「これを、人間が、やってしまった。」という事実に殴ら
れながら、「見続けること」「向き合い続けること」「学び続けること」
だけは、自分自身に約束しました。
 それは、やはり「不断の努力」なのだろう、と思います。
 

 憲法カフェの最後に、憲法学者の佐藤功先生が著書の中で語った「憲法が
君たちを守る。君たちが憲法を守る」という言葉を紹介しました。
その意味を探し続けることが、主権者として生き続けることなのかな、と
思います。

憲法カフェ後の「憲法めし」では、皆さん楽しく熱く感想やご意見を語り
合いました。こういう「分かち合い」があってこその憲法カフェですね♪




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