2014年12月2日火曜日

今さら人に聞ケナイ集団的自衛権<解釈改憲という禁じ手>

 憲法9条は、
「日本国民は戦争しません」
「国と国とのイザコザを解決する手段として武力は使いません」
と宣言しています(超訳)

集団的自衛権は、「日本は攻撃されてないけど、関係の深い国が攻撃されてるから、その国と一緒になって反撃する権利」ですよね。
集団的自衛権の行使は、まさに憲法9条が「使いません」と宣言する「国と国とのイザコザを解決する手段としての武力行使」では?
...
歴代政府も戦後ずっと、憲法9条のもとで使えるのは「やられたからやりかえす」個別的自衛権だけで、集団的自衛権は使えないとしてきました。
「憲法9条は戦争を放棄しているが、自衛権までは放棄していない
ただ、憲法9条の平和主義からして、日本が行使できる自衛権は限定される。
日本に対する武力攻撃があり、他に手段がない時にのみ、必要最小限度で自衛できる」と言ってきたのです。

しかし安倍政権は、憲法9条の読み方を勝手に変えました。
「日本と関係の深い国が攻撃され、日本の存続が危なくなる明らかな危険があるとき、他の手段がない場合に、必要最小限度で自衛できる」

そもそも憲法は、政府の独断で戦争に走り、国内外の大切な命を奪った反省から、国民が主権者として国の舵取りをするべく生まれました。
憲法は、主権者である国民が政府に対し、「国民の基本的人権を守れ」「戦争するな」と命ずる決まり。政府の手足を縛る鎖です。
しかし、憲法という鎖で縛られている政府が憲法の読み方を勝手に変え、ゴムみたいなものにしてしまったら?
政府は手足を自由に動かし、歴史を繰り返すかもしれません。

憲法の中身を変えられるのは主権者である国民だけ。
政府に都合の良い読み方で憲法の意味を変えることは許されない禁じ手で、主権者である国民の存在をないがしろにするものです。
この屈辱、決して忘れてはなりません。
来たる選挙で、主権者の力を発揮しましょう!