2013年5月10日金曜日

なぜ、ヘイトスピーチを規制できないのか?

最近、ヘイトスピーチ(特定の集団に対する攻撃的な、憎悪を表現する、といった表現行為)を伴うデモが話題です。
こういったデモを規制できないのか?と、疑問に感じる方もいるでしょう。

今のところ、ヘイトスピーチを伴うことだけを理由に、デモを不許可にして実施させない、ということはできません。
憲法は、有害な表現かどうかを権力が判断できるようにすると、いつか権力の都合のよいように使われる危険があるので、ひとまず自由にさせよう、と考えるからです。
「立憲主義」について、本ブログで何度も触れていますが、
権力が好き勝手できないように縛っておく結果、たとえ明らかに人を傷つけるような表現であったとしても、権力が制限することは簡単にはできないのです。

では、どうすればいいのか。
「在特会」のデモに参加する男性が、
「気にくわないなら表現の自由で対抗すればいい」と言っています。
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY201305020408.html
「表現の自由で対抗」とは、おそらく、
生まれたときから自由を持っている人が、抗議活動をする。
そうすると、それに反論したい人たちは、同じように生まれたときから自由を持っているので、
抗議に対する反論も自由にすることができる
(「在特会」のデモに対し、「仲良くしようぜ」のプラカードを掲げる行為がこれですね。)。
周りで見ている人たちも、どちらに賛成するか自由に決めることができる。
その結果、どちらかが間違っているならば、間違っている方の意見は味方がいなくなって自然にすたれる。
だから、わざわざ権力が規制する必要はない。
という意味でいっているのでしょう。

「そうはいっても、攻撃されている人たちは傷ついてしまってまともに反論なんかできない。
そういう弱い立場の人たちには、権力がヘイトスピーチを規制して味方をしてあげる必要があるんじゃないだろうか?」

「いや、そうやって権力に表現行為を制限する理由を与えたら、いつか悪用されるよ。
たとえば、政府を批判したら「権力を持っている人たちに対するヘイトスピーチだ!」って言われたりしないだろうか?」

…いろいろな考え方がありえますし、一人で考えてもまとめるのは難しいと思います。

でも、少なくとも、
こういうことに対して、自分でしっかりした意見が持てることって大事ではありませんか?
なんとなく気分で決めようとしたら、どっちの意見もそれなりに理由がありそうで、迷ってしまって決めることができません。
そりゃあそうです、どちらの意見にも理由があります。
その理由に、心から納得することがもしできたら、すごくスッキリすると思いませんか?
心から納得して、自分の意見を持つためには、きちんと知ることが重要です。

今、ヘイトスピーチを規制できないのはなぜなのか。
規制できる、と考えて大丈夫か。
意見を持てるように、憲法に関心を持って、学習会に参加して、ニュースに目を配って、
いろんな人と話してみませんか?