2018年7月6日金曜日

死刑について ②


 死刑は憲法が禁じる「残虐な刑罰」か――という議論があります。
 世界的には死刑廃止の潮流ですが、日本では議論は遅々として進みません。
 そもそも自分自身の考えが揺れてる、という方も少なくないのでは。
 でも死生観や人を殺すということについて、ゆっくり考えてみる時間は、
とても大切です。

 おそらく死刑の是非については、多くの方がモヤモヤしたままかと思います。
 一人ひとりの中で議論が深まるように、少し種まきを… 
 例えば「遺族感情」。
 もともと「仇討ち」への強い肯定・共感のあるこの社会では、死刑存置の強い理由の
1つですね。死刑反対の主張への「非難」も、「それを遺族の前で言えるのか!」という
ようなものが目立ちます。復讐心は、愛する人を失った人にとっては当たり前のように
湧き出すものです、もちろん。
 でも遺族感情も死刑存置の絶対的な理由、にはなりません。遺族のいない孤独な人を
たくさん殺しても、遺族がいなければ…?あれ?という具合に。
 遺族感情だけでは、済まない議論です。

 あるいは角度を変えて、
 死刑賛成という主張は「場合によっては殺人も許される」「殺されていい命もある」
という考えにつながっています。そこをまず、おさえましょう。
 基本的に人殺しは許されない、と思っている(圧倒的多数の)方にとっては、そこに
例外を認めるのか、なぜ認めるのか、と考えていく道のりになります。
 人によって、死刑賛成のどこにモヤっとし、死刑反対のどこにモヤっとするかは、
千差万別だと思います。
 せめて自分がどこにひっかかりを覚えるのか、それが分かるだけでも、大きいですよね。