2016年6月7日火曜日

ロコツに「政権批判はダメ」 いやいやいや…憲法違反です(汗)



 報道によると、宮城県教育委員会が、校外での集会に参加して
発言した県立高校の先生に対し、参加前に「政権批判の言葉に
気をつけるように」と注意していたのだそうです。




 政権批判、慎むよう求める 集会参加の教諭に 宮城県教委...
 http://www.asahi.com/articles/DA3S12396586.html





 その高校の先生は「ブラックバイト」や安全保障法制、生徒会活動
などをテーマにした県内での集会に参加したのだそうで、教委の
担当者さんが学校を訪れ、その先生に「どんなことを話すのか」など
と尋ね、政権批判の発言を慎むよう求めたようです。




 憲法は、19条で国民の「思想・良心の自由」を保障し、21条で
国民の「表現の自由」を保障しています。ご存じのとおり。



 どんな思想を抱くことも自由だし、言いたい時に言いたいことを言う
自由があります(ただしヘイトスピーチのような人の尊厳を傷つける
ようなものは別ですが)。
 公権力が、国民のこういう自由を制限することは絶対に許されない
ことです。なぜって、言いたいことを言えないようでは「その人らしい」
人生は歩めるはずもなく、また自由な議論ができなくなることで民主
主義もマヒしてしまうからです。

 
 なのに今回、教委(権力)は、「政権批判はダメ」と、先生に圧力を
かけました。
 授業で生徒に極端な思想を教え込んだわけでもなく、集会に参加
するというだけなのに。



 なんの集会に出ようがそれは先生個人の自由です。
 教委は「教育公務員としての政治的中立性が保たれるべきだと
考えた」と弁解していますが、「教師として現場でどのような教育を
実践するか」と「個人としてどのような考えを持って発信するか」は
まったく別問題です。
 政権批判はダメ…そうですか、では、政権擁護発言ならいいのですか?
と勘ぐりたくなりもします。
 政治色を一切封じ込めることで『政治的中立性』が実現すると考える
のは悪しき中立病患者さんの典型的な症状です。
 どんな政治色を持っていてもいいんだよ、とあらゆる政治色を認める
ことこそ、民主主義国家における「中立」は保たれるのだと思います。





 宮城県教委の、先生への「注意」は、憲法に違反する許されないものです。
 



 これとは別ですが、与党に、学校の先生の政治参加をどんどん禁止
しよう、という動きがあります。選挙前にぜひ知っておいていただきたい
ことです。
 選挙権が18歳から付与されるようになります。
 投票ってどんなものかな、政治のどんなことに注目すればいいのかな、
と,当然のことですが高校生の政治への関心は高まっています。
 そんな高校生たちから、「先生、今の政権ってぶっちゃけどうなの?」と
質問されたら、教師はどう答えたら良いというのでしょう?
 教委は「中立性が大事だから、教師はそういう質問には答えてはいけ
ない」、とでも言うのでしょうか?


 「それは政治的な話だから先生にはなんとも言えません。中立性が
大事だからね。でも君たちには選挙権があるから、よく考えるように。」




 生徒がせっかく政治や社会に関心を向けているのに、「どっちつかずの
当たり障りのないこと」だけ述べて逃げるのが「教育者としてあるべき態度」
なのでしょうか?
 「いろいろな意見があるけれど、先生自信はこう思うよ。なぜかというとね…」
と、教師自らの考えを、さまざまな材料と共に発信することが、生徒たちに
とって一番いいことなのではないでしょうか。

  そっかー、政治っていろいろな考えがぶつかり合ってるんだ。
 そっかー、先生も一人の人間として、いろいろなことを見て聞いて、こうや
って結論に至ってるんだ。
 そっかー、じゃあ他の大人はまた別の考えかもしれない。別の新聞には
ちがうことが書いてあるかもしれない。



 先生の態度から、生徒たちは「政治参加」についてたくさんの大切なことを
くみ取ります。
 それができなければ、自由に発信し、自由に考え、自由に議論を深め合う
という土壌はできません。




 与党は、何をおそれているのでしょう?
 何をいやがっているのでしょう?
 日本を成熟した民主主義国家にしたいのであれば、18歳を一人前の
主権者として扱いたいのであれば、教師の政治活動を禁止などという考え
は生まれるはずがないのに。




 そんな息苦しい(生き苦しい)国になっていいのか、ぜひ、選挙の前に、
考えてみて下さい。