2013年4月25日木曜日

昨夜18時~20時
憲法学習会「自由が危ない!自民党改憲草案」@国分寺労政会館 
おかげさまで200名ほどの参加者で会場はあふれました。
福島第一原発20km圏内に潜入し、惨状を写真に撮りおさめた谷内俊文氏によるフォトスライド上映とトークからはじまりました。
数々の写真からは、かつて人がそこに生活していた街から「体温」が無くなった、例えようもない異様な静寂が伝わってきて、息を飲みました。


* * *

 続いて私たち「あすわか」の紙芝居+憲法ってなあに?という話。
 国家と国民との関係について「国民が自由を守るために権力を憲法で縛ろう」という考えを立憲主義といいます。およそ近代民主主義国家において、この立憲主義の考え方は国家の土台ともいうべきものです。
 フランス人権宣言16条は、このように規定します。
「Toute Société dans laquelle la garantie des Droits n’est pas assurée,
 ni la séparation des Pouvoirs déterminée, n’a point de Constitution.
(権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。)」
 日本国憲法においても立憲主義は出発点であり基盤となっている考え方です。だからこそ99条で憲法尊重擁護義務を負うのは「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」なのであり、国民が負うものではないのです。


 振り返って、自民党改憲草案はどうでしょうか?
 人権保障どころか「公益または公の秩序」によって容易に人権が制約でき、幾多もの義務を課し、「人類普遍の原理」であるはずの天賦人権論を「西洋の考え方」だとして相対化させて否定しています。
 また、現行憲法96条憲法改正要件は、国会の発議の要件を3分の2から過半数へ緩和させています。現在まさに安倍首相自身の口から「憲法を国民の手に取り戻す」などとキャッチーな言葉で推し進められようとしている96条の改正ですが、これも結局、時の権力者に専制的な政治をさせないために設けた厳格な改正要件を、数の論理で自由に改正できるようにするものであり、立憲主義の思想とは全く相容れない(というか憲法がなんたるかの理解に乏しい)発想です。
 憲法研究者の奥平康弘氏は96条改正を「憲法への死刑宣告」と表現しています。


 このように見てくると、自民党の改憲草案が提示するもの、それは「天皇を頂点にいただく、「個人」が封殺された憲法の無い社会」です。
 梓澤和幸弁護士は講演の中で、「憲法のあるこの社会を守らなければならない」と語りました。


 憲法ってなあに?この話をもっともっと多くの方に聞いてもらい、知ってもらわないと、と強く思い、願う夜でした。