2013年4月1日月曜日

総会の報告①(阪口正二郎教授の特別講演)

総会の報告第1弾は、阪口先生の特別講演についてです。

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 2012自由民主党「新憲法草案」について考える
             ーー96条改正問題を中心に

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 講演は、「今回の自民党改憲草案は、国家と国民との関係を
根本的に変えようとしている」という話から始まりました。

 国家と国民の関係をどのように変えようとしているのか、
まず前文の改正について見て見るとよく分かる。


 現行憲法の前文に明確に書かれているのは、社会契約である。
すなわち、個人が自らの自由を確保するために一定の合意をして
国家を形成した。だから国家は決して所与のものではなく人為的
なものではない。戦争に対する反対意思も述べられており、その
文脈で平和的生存権の記載もある。


 そして、これらの事柄は「人類普遍の原理」である。つまり
日本のためにではなく、近代以降の立憲主義を守るためのもので
ある、と。

 これに対し、改憲草案の前文はどうだろうか?
 社会契約の論理が、どこにも出てこない。日本固有の歴史・
伝統・国土が強調され、対国家的なものであるはずの理屈が出て
こない。そこに出てくるのはむしろ国と郷土を守る国民、規律を
重んじる国民。国家が国民を縛る仕組みを定めようとしている
姿勢が表れている。


 阪口先生は自ら最も重要な条文だと考える13条が規定する
「個人の尊重」というキーワードから、立憲主義を掘り下げて
語って下さいました。

 「個人」という言葉が消え「人」と改正されようとしている
ことの危険性を忘れてはならない。個性を抜き去った「人」は
個性を持った「個人」と大きく異なる。天賦人権説を採用しない、
と自民党自身が語るように、日本という「国」・日本の歴史や
伝統・文化を嫌う国民は「個人」として認めない、という理屈。


 現行憲法下においても、残念ながら日本は個人よりも共同体を
優先させる国であり、周りに同調せよという雰囲気の息苦しい
社会である。こういう社会において「もっと個人であることを
大事にしなさい」と言ってくれる13条は非常に大事。そう簡単
に13条を変えてはいけない。


 102条の憲法尊重擁護義務に「国民」が入っていないのは、
近代立憲主義の立場に立って、国民が権力を縛っているから。
またこれは、「闘う民主政」を採用しない、という宣言でもある。
「闘う民主政」は、ドイツがナチスという特殊な背景を持っている
からこそ採用されたのであり、今の日本に、あえて「闘う民主政」
を採用しなければならない背景はない。


 96条改正についても、「個人の尊重」をキーワードに語って
くださいました。
 あまりにも長くなるので、ここでは書ききれませんが、第3代アメ
リカ合衆国大統領であるジェファーソンが、硬性憲法という発想
へ投げた反論から始まり、「民主主義を可能にするための硬性憲法」
「立憲主義を可能にするための硬性憲法」へと展開しました。

 KYという言葉で「個性」をことさら押さえつけようとする
日本社会を憂慮し、当会の若手弁護士達の活動で「個人の尊重」
そして立憲主義がいかに大事なことか理解が広まることに期待
する、という話で、講演は終わりました。
 先生のお話は非常に分かりやすく、講談を聞いているかのような
錯覚に襲われました!会場は何度も笑いに包まれ、「先生の大学での
授業もこんな感じなのかなぁ」と学生やロー生をうらやむ声も聞かれ
ました。
 先生、ありがとうございました!!