2017年8月31日木曜日

やや日めくり憲法 90条(会計検査)



 早いもので、今日で8月も終わり。
 雨が多かったので、じゅうぶんに夏を楽しめなかった方も
おられるかも
 でもきっと、残暑は厳しいので(^^;)しばらくは夏の気分ですね
(アイスクリーム、スイカ、ビール


さて、「やや日めくり憲法」シリーズ、今日は90条について見ていきましょう!





<日本国憲法90条>


 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院が
これを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告
とともに、これを国会に提出しなければならない。


2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを
 定める。





この条文は決算の審査について定めた条文です。





 決算 「決算セール」とかでよく見るアレ。


決算とは、国が集めた税金が実際にいくらだったか、集めた税金を
実際にどの分野にいくら使ったのかを毎年度まとめたものです。

 以前、86条のところで説明したように、毎年予算が国会の議決に
よって決められますが、内閣が実際にちゃんとこの予算の計画通り
に税金を集め、使っているかを、この決算によってチェックするの
です。

 決算の制度は、このように内閣がちゃんと予算通りにお金を集め、
使っているかをチェックするとともに、今後どのように予算を決めて
いくかの参考にもなります。


  この決算の審査について、日本国憲法は、2段階の検査をするよう
に求めています。


  まず第1段階は会計検査院による審査です。 

 会計検査院は、内閣からも独立した憲法上の機関として、国や法律で
定められた機関の会計を検査し、会計経理が正しく行われるように監督
する機関です。この会計検査院、誕生したのはなんと明治13年で(!)、
明治憲法でもその存在が定められていました。ちなみに戦前は、天皇直属
の機関とされていましたが、戦後は、会計検査院法で、どこからも独立
した機関(いわゆる独立行政委員会)と定められています。
中立な立場でチェックするのですから、内閣(行政)からも独立していな
ければならないわけです。

 内閣は、翌年度の11月末までにこの会計検査院に決算を提出します。
そして、会計検査院は、この決算を確認し、違法・不当なことがないか
どうかなどを検査して、報告書を作ります。これが1段階目の審査です。


  第2段階は、国会による審査です。


 内閣は、会計検査院の検査を経た決算を、翌年度の通常国会で、衆議院
・参議院それぞれに同時に提出し、両議院でそれぞれこの決算が審査され
ます。これが2段階目の審査です



 このように、日本国憲法は、決算について、
①会計検査院の審査②国会の審査、という2段階の審査が行うように
定めています。


 ちなみに会計検査院の検査結果の内容は会計検査院のHPで公表されて
おり、(http://www.jbaudit.go.jp/report/index.html)、ここには、会計検査院
が違法だ!不当だ!と判断したお金の使われ方も載っています。
実際に税金がどのように集められ、どのように使われているのかを不断の
努力でしっかりとチェックしていきたいですね。

2017年8月25日金曜日

9月8日 映画『スノーデン』上映会で戸舘弁護士が共謀罪トーク☆



 東京・中野にて、映画『スノーデン』の上映会が開かれます♪
 共謀罪(テロ等準備罪)ができてしまった今こそ、必ず観ておか
なければならない映画の1つです。

 午後の上映会の後には戸舘圭之弁護士が映画と共謀罪を
からめて解説します(^^)/

 2倍も3倍も深く映画を楽しめるひとときですので、ぜひお越し下さい!


*・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・

 中野区初! 解説トーク付上映決定!!『スノーデン』


日時: 9月8日(金)
   ①9:30~11:45 ②13:00~15:15
    (開場各30分前)
    上映時間135分(日本語吹替版)

    ②の上映後、弁護士・戸舘圭之氏のトークが
  ございます(約45分)


会場: なかのZERO小ホール
    (JR中野駅南口・左へ徒歩5分)
   https://www.nicesnet.jp/access/zero.html


料金: 1,000円(高校生以上)
 * 前売券の販売はございません


◆主催 中野『スノーデン』上映会 

◆協力 共同映画株式会社

【お問い合わせ】藤本 090-4738-6168





2017年8月9日水曜日

やや日めくり憲法89条 公金の支出

<日本国憲法 89条>

 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは
団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配
に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、
これを支出し、又はその利用に供してはならない。



 この条文は,2つに分けて考えるのが一般的です。

 1つめは,前段と呼ばれる部分で,「公金その他の公の財産は、宗教上の組織
若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため…これを支出し、又はその利用に
供してはならない。」というもの。

 2つめは,後段と呼ばれる部分で,「公金その他の公の財産は、…公の支配に
属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に
供してはならない。」というものです。



 まず,前段について。

 前段は,国が,ある宗教をお金の面で援助したり,援助しなかったりする
ことによって,ある宗教だけをひいきしたり,いじめたりすることができる
という理解に基づいています。

 国が,ある宗教をひいきしたら,国民がその宗教を信じない自由が侵され
ます。また,いじめたら,そのいじめられた宗教を信じる国民がいじめられ
ることになり,国民が宗教を信じる自由が侵されるのです。

 だからこそ,憲法は,国は宗教には金を出さない!とするきまりを作って,
国家権力を制限しようとしたのです。

 この,国民の自由を守るために国家権力を制限しようとする考え方,まさに
立憲主義そのものですよね。

 お金のことを定めているように見えて,実は,国民の自由を守る第89条
前段は,お金にうるさいけれど,実は正義感あふれるかっこいいヒーロー
なのです。


 この89条前段,自民党の改憲草案では,「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲
を超えない宗教的活動について」であれば,国が税金を支出することも許される
としています。

 でも,宗教的行為か「社会的儀礼」ないし「習俗的行為」かどうかって,
実は結構難しい判断ですよね。
 大臣や国会議員による神社への参拝、玉串料奉納… なにか神道以外の信仰を
持っている人にとっては、「え、日本の政府は神道と結びつきがあるの?」と
とても不安を抱くでしょう。
 それと同じで、「社会的儀礼」を隠れ蓑(言い訳)にして,ある特定の宗教に
だけお金を渡したりすれば,国民の信教の自由が侵害されてしまう危険がある
ことを踏まえて,改憲の必要があるのか考えていく必要があります。



 次に,後段については,公共とは関係のない事業に,国が口を出すことを
予防したり,もとは税金である国のお金の無駄遣いを予防したり,国の援助に
頼りすぎた事業を予防したりするために定められたものだ,と考えられてい
ます。


 自民党の改憲草案の解説では,「朝鮮学校で反日的な教育が行われている
現状やこれまでの判例の積み重ねもあり,基本的には現行規定を残すことと
しました。」としています。

 そこでどのような教育を行っているかで,助成を行うかどうかを判断する姿勢
ということです。日本政府にとって都合の悪い教育をしている学校には助成を
しない…、これ、どれだけおそろしいことか、お分かりでしょうか。

 国に逆らわないように教育することには援助して,国に不都合な教育には
援助しないなんてことにならないように,じっくりチェックしていかなくて
はいけないですね。

2017年8月8日火曜日

やや日めくり憲法 88条(皇室財産及び皇室費用)




<日本国憲法88条>

  すべて皇室財産は、国に属する。
 すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決
を経なければならない。


 うーーーむ。
 なかなか…興味無かったら一生見なかったかもしれない条文ですねw!

 しかし、一度くらいは目を通してみましょう。



 戦前、天皇の財産(御料)や皇族の財産すなわち皇室財産は、帝国議会の
統制外でした。

 そりゃ、神聖にして侵してはならない絶対君主ですものね…

 その人達の財産をコントロールするなどおこがましい、といったところで
しょうか。


 当時の皇室財産としては、
莫大な株式・有価証券、広大な土地(国土の3.6%)・御用邸、

なぜか日清戦争で得た賠償金の一部とかまであり、

天皇家は目が飛び出るような巨万の富を持っていました。

(当時天皇家に次ぐ資産家であったとされる住友家の当主の30倍以上
あったとか!)



 戦後、天皇が民主主義国家である日本の「象徴」となったことに伴い

皇室財産はほぼすべて国有(皇室のために使う財産)となりました。

 わずかな例外は、新嘗祭などする宮中三殿や、三種の神器です。



皇室用財産の一覧表は宮内庁HPにあります。





 皇室財産が国有になったことから、天皇や皇族の生活費や国家機関として
の活動費は、国が出す必要があります。
 そこで、皇室の費用は、すべて国会の議決する予算に基づいて支出される
ことになりました。


 具体的には、内廷費(生活費のようなもの、毎年3億円ちょっと)、
宮廷費(儀式費、国賓の接待費など)、皇族費(皇族の品位保持のための
費用など)の3種類があります。






 権力を持たなくなったとはいえ、影響力や権威があり続ける存在なので、

主権者国民がそのお金の動きに縛りをかけるのは、立憲主義の考えからすれば
すんなり導かれる結論、ですね。

やや日めくり憲法 87条(予備費)


<日本国憲法87条>
 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の

議決に基いて予備費を設け、内閣の責任で
これを支出することができる。

2 すべて予備費の支出については、内閣は、
事後に国会の承諾を得なければならない。


 憲法87条は予備費について定めています。
 予測できない突然の事態でお金が必要となった時のために、使い道を
決めない「予備費」を設けておいて、いざとなったら内閣はそれを使うこと
ができるけど、後で国会から承諾をもらわないといけませんよ、ということ
です。

 私たち国民は、けっこう大変な思いをしながら、税金を支払っています。
 国民が税金を納めるのは「お金は負担するから、政府はそれを私たち
一人ひとりの尊厳を確保し、みんなが自由に幸せを追求できる社会をつくる
ために使ってくださいね」という思いを込めての納税であって、
決して「政府のお好きなように使ってください」なんて思ってはいません。

 ところが、私たちから集めた莫大なお金は、とても誘惑の大きいもの。
だから、税金を運用する政府の人たちや、そこからの分配(補助金など
ですね)を望む人たちの都合のよいように、無駄づかいされたり、不合理
な増税をされたり、ということが、しばしば起こりがちです。
 
 そもそも憲法で権力をしばるという立憲主義は、歴史上、そのような
税金の問題をきっかけに発展して来た考えでした。
「権力の好き勝手に税金をかけたり無駄遣いしたりなんて、させるもんか!」
その思いは、今も昔も同じですね。
 そこで、日本国憲法は、税金が無駄づかいされないように、86条で、
税金の使い道について、内閣に予算を作らせ、あらかじめ国会のチェックを
受けるように定めています。

 しかし、予算を作るときには予測できない急な必要も考えられるので、
87条1項で、使い道を決めない「予備費」を設けることができるとしたの
ですね。ただ、その場合でも、同条2項で、「予備費」の使い方について
後から国会のチェックを受けるようにして、税金の無駄づかいを防ごうと
しているわけです。

 うっかり見過ごしてしまいそうな「予備費」ですが、もしかしたら無駄づかい
されているかも。国会だけでなく、私たちも、しっかりチェックして行きたい
ですね!

2017年8月7日月曜日

憲法改正自体が自己目的!!、、、て堂々認めちゃってるし?? \(-_-;)汗


 8月1日、自民党憲法改正推進本部の議論があったそうで、
朝日新聞がこれを報じていました。
 http://digital.asahi.com/articles/DA3S13067247.html


 ここでは自民党が「改憲4項目」として候補に挙げているテーマを
議論したのだそうです。
 ①9条に、自衛隊を位置づける「加憲」をするか?
 ②緊急事態条項をいれるか?
 ③選挙区の合区解消
 ④教育無償化       
 のことです。
 (なんかいつの間にやら、この4つに絞って議論、なんてことになって
いるのですよねえ(-_-)…)
 なんでだろう、そんなこと強く希望する声が市民からあがったんだっけ、、、?
 この報道によると、河野太郎議員西田昌司議員との間で、以下のような
発言があったとのこと。
  ↓

河野「教育無償化は現行憲法のもとで政策議論
  でやっていくのが正しいと思う」

西田「わざわざ憲法論議をしなくても法律事項で

  十分できる問題だ。なぜこの問題を(議論)する
  かというと、まさに憲法改正を目的化しているんだ」


 うおぉぉぉ、、、、( ̄□ ̄;)
 ここまで開き直った発言だと、思わずあっぱれと言いたくなるような
ならないような…


 今さらですが、憲法とはこの国の最高法規。国民の自由・人権を守るために、
権力をしばるものです。
 その憲法を「変えよう」という議論は、こんな順番で進むべきものですよね。↓

① 国民のよりよい生活のために実現したい政策がある
   ↓
② その政策実現のために必要な法律がないなら、法律新しく作るか、既にある
 法律を改正しなければならない。
   ↓
③ その法案が、今の憲法に反してしまう。(憲法違反の法律は無効。)
   ↓
④ 必要な法律を作れるようにすべく、憲法改正を検討したい


 さて。
 教育無償化は、今の憲法で、禁じられていませんので、無償化を実現
したいなら、法律を作ればいいだけの話です。
 わざわざ憲法に書くなんて大げさなことをする必要はまったくありません
(多数の議席をお持ちですので、簡単にできるでしょう←皮肉)。
 自民党がなぜ教育無償化をわざわざ「改憲テーマ」にしているのか…
その疑問に、西田議員が、身も蓋もなくwズバっと答えてくれているわけです。
 「なぜこの問題を(議論)するかというと、まさに憲法改正を目的化して
いるんだ」と。憲法を変えたいから変えたいんだよ、変えること自体が目的
なんだよ、変えられるならなんでもいいんだよ。

 
 ちなみに、時々、この教育無償化について、次のようなご意見があります。
「確かに憲法改正しなくても教育無償化は実現はできる政策だ。しかし、
憲法に書き込むことによって権威が増して、実現のための予算がつきやす
くなるから、憲法に書き込む意味はある。」

 …(-_-;)うーん、現実にはそううまくいくとは思えません。
 たとえば憲法25条にははっきりと「すべて国民は、健康で文化的な最低
限度の生活を営む権利を有する。」と書いてありますが、その権利実現の
ための政策は優先順位高く予算配分されているでしょうか?
 25条を具体化している生活保護法は1条ではっきりと
「この法律は、日本国憲法第二十五条?に規定する理念に基き、国が生活に
困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、
その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的と
する。」と書いていますが、安倍政権下で生活保護予算は削減されています。

 国がなんらかの給付、支援をすることではじめて実現することができると
いうタイプの人権(社会権といいます)の場合には、憲法に書いてあっても
実現には法律が不可欠で、時の政権のやる気次第で実現の程度には
かなりの差が出ます。
 どんなに「生存権は基本的人権だ」と理解を促しても、「生活保護はワガ
ママだ」という強い自己責任論を背景に福祉政策を切ってきた政権の歴史を
振り返れば、「憲法に書き込みさえすれば関連政策は優先的に実現される」
などとはまったく期待できないのです…。


 憲法は主権者国民のものです。人間らしく、そして世界にたった一人しか
存在しないかけがえのない「自分」らしさを大事に生きていくための命綱です。
政治家の執念で勝手に変えられるのだけは、ごめんです!

やや日めくり憲法 86条(予算の作成と国会の議決)



<日本国憲法86条>
 内閣は、毎会計年度に予算を作成し、国会に

提出して、その審議を受け議決を経なければ
ならない。



 予算とは、毎年集める税金がどれくらいの額になるのか(歳入)、
集めた税金をどの分野にいくら使う予定なのか(歳出)の見積り(計画表)
です。

 国は、外交、防衛、警察、教育、福祉、労働政策などさまざまな行政を
行っていますが、どんなことをするにもお金がかかりますよね。
 毎年の税収がどれくらいの額になるのか(歳入)、また、集めた税金を
どの分野にいくら使うのか(歳出)の見積りを定めているのが予算です。


 税金をどのように集め、どのように使うかは内閣の仕事で行政権に属し
ます。しかし、税金がどのように使われるかは、私たちの生活に深く関わる
ことですよね。
 そこで、国会の議決が必要な予算という形で国の財政行為を縛ることで、
税金の使われ方を監視しているのです。

 歳入の見積りは、財務省主税局が行います。
 一方、歳出は、財務省主計局が担当しています。毎年夏の終わりごろに
各省庁が、「うちは、来年はこんな仕事をする、それにはこれだけのお金が
必要だから予算をつけて。」ということを主計局に要求します(概算要求)。

これに対して、主計局が「いやいやこんなの不要なんじゃないの」といって
減らそうとする、そうした攻防を経て、12月末頃に財務省原案ができて、
翌年1月の通常国会に提出されます。

 その後、衆参の予算委員会で審議されますが、その過程で国民の声が
反映されて予算案が修正されることもあります。
 そうした過程を経て、晴れて予算となるのです(なお、予算案は衆議院
から先に審議され、また、衆議院の議決が優先されます(60条))。

 このように、予算は、国会で議決されることで民主的な統制が及ぶことに
なっていますが、実際には国会に提出された予算案が大きく変更される
ことはほとんどありません。
 私たちの意見を予算に反映させるためには、国会や各省庁に対して、
請願権(16条)を行使したり、意見を表明したりしていくことが大切です。
 つまり、概算要求をする前の段階から国会や各省庁に働きかける不断の
努力が必要なのです。


2017年8月5日土曜日

やや日めくり憲法 85条(国費支出及び債務負担の要件)



<日本国憲法85条>

 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、
国会の議決に基くことを必要とする。



 国が国民から集めた税金を使って、行政の運営に必要な支出をしたり、
借金をしたりするためには、国会の議決が必要です。よくテレビ中継
される予算委員会は、主に国の税金の使い方について審議するところ
なんですね。

 なぜ、いちいち国会の議決が必要なのでしょう?


 そもそも戦争に敗けるまで、つまり明治憲法のもとでは、議会が財政
に口を出すことが厳しく制限されていたのだそうです。
たとえば、明治憲法では、皇室経費については増額する場合以外は
議会の「協賛」は不要だとされていたり(66条)、勅令による緊急
財政処分も認められていたり(70条)、国民の意思がかーなーり
反映されない形で税金が使われていたわけです。

 でも戦争に負けて、日本国憲法が生まれ、私たち国民は晴れて国の
主権者(主人公)。私たちが一生懸命働いて稼いだお金を税金として
納めているのだから、政府に好き勝手に使われたくありませんよね。

 
 そこで、日本国憲法では、国民の代表機関である国会の関与・統制を
徹底させることとしました。


 国民の代表が集まる国会で、その支出や借金が必要なのかどうか、
どれくらい必要なのか、しっかり議論して決めることを日本国憲法
は定めています。

 国会が決めるならどんな使い道でもOKというわけではなくて、基本的
人権の保障の保障に伴って生じる支出や借金でなくてはなりません。
 たとえば、憲法25条によって健康で文化的な生活を営む権利を保障
するために十分必要な医療や介護などの社会保障費を支出しなければ
なりません。「財政立憲主義」とか「財政民主主義」などといわれて
います。


 いまの日本の財政支出はどうなっているでしょうか。
 添付の図をご覧下さい。(財務省ホームページより)






 日本は高齢化が進んでいるので、社会保障費が3割を占めています。
2017年度の予算では、低賃金の保育士や介護職員の賃金アップの
ための支出が社会保障費に組まれています。

  しかし、みんなが「健康的で文化的な最低限度の生活」を送れるほど、
国の支出は十分にされているでしょうか。


 2012年8月に社会保障制度改革推進法という法律が成立し、
施行されていますが、そこでは「自助、共助及び公助が最も適切に
組み合わされるよう留意しつつ、…家族相互及び国民相互の助け
合いの仕組みを通じてその実現を支援していく」として、自己責任
が強調されています(生存権の保障は、国家の義務なのに…)。

 社会保障への「負担の増大を抑制」、「生活保護制度の見直し」
なども掲げられた結果、生活保護については、2013年8月から
最大10%、平均6.5%と、史上最大の生活扶助基準の引下げが
実施されました。

 2013年12月には70~74歳の医療費の自己負担が1割から
2割に引き上げられました。医療費の抑制、保険料の引き上げや徴収
強化の傾向にあります。

 今後も、介護保険への自己負担3割導入、要介護1~2向けの生活
援助などに保険給付を外すなどなど、さらなる社会保障費の削減が
狙われています。



 他方で、防衛費(米軍再編関連費用を含む)は5兆円を超え、
過去最大です。前年度当初より1.4%増で、5年連続の増加と
なっています。

 ごちょーえんゼロが多すぎて想像を絶しますが(_)、保育士
さんのお給料や、生活保護費や、高い学費・給食費などを放置して、
闘機や武器につぎ込まれているのは、ちょっと納得できないような。

国の安全保障も大事ですが、社会保障も国民の命と健康を守る
Social Security”「安全保障」の1つです。「財源がない」という
なかで、どちらを優先させるべきでしょうか。



 国の借金はどうでしょう?

 2016年12月末の国債と借入金、政府短期証券の合計残高は
1066兆4234億円で過去最高です。
 つまり、赤ちゃんからお年寄りまで国民1人当たり約840万円の
借金を抱えていることになります。…(-_-;)


 国の健全な財政を維持(取り戻す)ため、基本的人権を保障させる

ために、何に、どれくらい税金が使われているのか、不断の努力で
常にチェックしないといけませんね。

8月6日(日) 武井由起子弁護士の憲法カフェ@バークレー


 もはや夏のアニュアルイベントと化した(?)武井由起子弁護士の
バークレーでの憲法カフェ♪
 右傾化に揺れるアメリカと日本、両国のはざまで不安な思いを
抱える方は少なくないはずです。
 アメリカから「押しつけられた」だなんてのはデマですが、日本国
憲法が複雑な歴史の絡み合いの中で誕生した事実には間違いなく、
アメリカで日本の憲法と出会う体験は、とても意義あることと思います。

 直前の告知となりましたが、バークレー近郊の方(いやもちろん
いろいろな意味で余裕がおありなら日本からでも!)ぜひご参加
ください☆


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


続・地球の集まりスピンオフ企画☆
   弁護士武井由起子さんの憲法カフェ in Berkeley


 日本全国から海外まででひっぱりだこのスーパーママ弁護士・武井
由起子さんが現在、ベイエリアに短期滞在中ということで、憲法に
ついてみんなで気軽に学ぶ「憲法カフェ」を開催していただくことになり
ました!

 海外に住む私たちでも、無関係ではいられない日本国憲法。
 でも、そもそも「憲法」って何? 
 今の憲法ってどんな憲法なの? 
 最近の自民党の憲法改正草案はどんな内容??
 憲法はこれからどうなっていくの?
 などなど、憲法のキホンからホットなトピックスまで、由起子さんが紙芝居
や〇×クイズも使いながら、おもしろく&わかりやすくお話してくださいます。
 もちろん、どんなギモンにも答えていただけます。?わきあいあいとした中
で、一緒に学んでみませんか?

 お話の後は、みんなでおやつを食べながらの交流会の時間もあります。
日本全国で憲法カフェを開催されている由起子さんに、気軽になんでも
聞けちゃう、とてもぜいたくな機会です。
 ぜひぜひふるってご参加ください!


日程:8月6日(土曜日)

時間:11:00-13:30


場所:Berkeley 個人宅
   (※参加の表明をいただいた方々に追って詳細をご連絡します。)

参加費: 10ドル+ドネーション

* 軽食(おやつ)の持ち寄り歓迎!

参加希望の方はこちらのフォームにご記入ください☆
https://docs.google.com/…/1FAIpQLScJ3aGLKcA682mkAA…/viewform


イベントページこちら
https://www.facebook.com/events/839252412910250

やや日めくり憲法84条 租税法律主義


<日本国憲法 84条>

  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更する
 には、法律又は法律の定める条件によることを必要
 とする。



 税金を課するには法律で決めなければならない、という条文です。
 このことを、「租税法律主義」といいます。

 課税には、国民を代表する国会の定める法律で条件を定める必要がある
ということは、つまり、課税には、納税者である国民の同意が必要、という
ことです。
 納税の義務(憲法30条)と租税法律主義とは表裏の関係にあるといえます。

 「租税」とは、国又は地方公共団体が、課税する権限に基づいて、経費に
充てるために強制的に徴収するお金のことをいいます。
 租税は、手数料とは異なり、支払いに対する直接的な利益(反対給付)が
ないことが特徴です。税金払ったからこれあげる、とか、なにか見返りはあり
ませんよね。

 「法律」による議決を要する事項は、
・課税要件(誰が税金を支払う義務を負うか、
・何に対して税がかかるか、
・どういう基準で税がかかるかなど)
・課税手続き
  です。



 「代表なければ課税なし」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
 イギリスで古くから説かれた言葉です。

 歴史的にみると、「租税法律主義」は、この言葉のとおり、国王が国民に
税を課そうとするのを、国民の側から「かんたんには税をかけさせるものか!」
とコントロールするものとして機能してきました。



 ちなみに、しばしば増税が問題になる消費税も、消費税法と地方税法という
二つの法律で税率が決まっています。
 消費税の増税は、税率の変更になりますので、国会の議決を経て、法律の
改正の手続きによって行われることになります。

 「租税法律主義」というルールがあるおかげで、政府が「お金が必要だから
増税しちゃおう」と閣議決定等で勝手に税率を上げることは禁止されて、
あくまでも国会で法律を変えることが必要、ということになります。
 国民の権利利益を損なうことがないよう守ってくれているということです。
これが、立憲主義(憲法に基づく政治)の素晴らしいところです。

 誰からどれだけ税金を徴収するのかを国会の法律で決めるとなると、どの
ような人を国会議員として選ぶかについて、無関心ではいられませんよね。 

2017年8月4日金曜日

やや日めくり憲法83条 財政


サマージャンボ当たらないかなぁ~

もし当たったら、あれ買って、これ買ってって願っているみなさん!

憲法にもお金のこと書いてあるって知ってますか?!(当たり前か(笑))


 <日本国憲法 83条>
 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、
これを行使しなければならない。



 国のお金を使う権限を持っているのは、国会ではなく内閣です。

 現実に政治を行うのが行政権だから、当然ですね。


 でも、行政にお金の管理を任せっぱなしにするのは、まずいですよね?

だって、好き勝手に使われたら困るじゃないですか。

 国民が必死こいて支払った税金なのに、国会議員のおやつ代とか、観光旅行
とかに使われたら、イヤですよね?




 ちゃんとお金を集めたのか、集め漏れがないか、

 ちゃんとお金を使ったのか、無駄に・不必要に使っていないか、

 そういうことを別の人がチェックする必要がありますね。


 それを、国民の代表機関である国会に任せよう、というのが83条です。

国会が、国のお金の使い方(予算)を決めて、使ったものを確認する(決算)
わけです。

さらには、国有財産の管理、貨幣制度なども、国会の指示に従います、という
ルールでもあります。

財政民主主義、財政国会中心主義、と呼ばれたりします。


 大日本帝国憲法では、勅令(天皇の命令)で国のお金を使うことができ
ました(事後的に議会の承認を得ればいい)。

 たとえば、緊急処分(大日本帝国憲法70条)とかです。

 日露戦争のときや関東大震災に使われたそうです。

やっぱり…そういうのは戦争で使われるんですね。 


 さきほども言いましたが、いまの憲法では、国有財産の管理も国会の議決が
必要です。

 当たり前ですよね?

 国有財産はわたしたち国民全体の持ち物なのだから、例えばその国有財産を
行政が勝手に激安な値段で売るのは、国民に損害を与える行為なので、

決して許されないわけです。

(最近、国有財産の廉価売買が問題になったような…)



 とにかく、

 内閣が勝手にお金(国有財産)を使わないように国会が監視する

権力分立(立憲主義の一側面)です!


 今日から、財政の話が続きます。

マニアックなようでいて、めっちゃ身近な話ですので、こうご期待!

2017年8月3日木曜日

やや日めくり憲法 82条(裁判の公開)


 <日本国憲法 82条> 
  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は
 善良の風俗を害する虞があると決した場合には、
 対審は、公開しないでこれを行ふことができる。
 但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法
 第3章で保障する国民の権利が問題となつてゐる
 事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


  裁判は、国民みんなが見守ることができる場で実施しなきゃ駄目ですよ、という
規定です(82条1項)。

 
 「ええっ?!なんで?私、自分の裁判、他の人に見られたくありません!」と思う方も
おられるかもしれません。
 でも、「みんなが裁判を見ることができる」というのはものすっごい大事な原則なの
です。

 なぜかというと、密室で(国民が見守ることができない状況で)実施される裁判だと、
公正に行われるかどうか、わからないからです。
 裁判所も強大な権力です。民事でも刑事でも、裁判所の下した結論は人の人生を大きく
左右します。
 まだ死刑が存在する国ですから、判決ひとつで、人の命を奪うこともできてしまいます。

 そんな強力な司法権が、恣意的にふるわれると、国民の人権や生命には、たまった
もんじゃありません。

 例えば、明治時代に「大逆事件」と呼ばれる事件が起きました。
 政府の方針に反する意見を持った人たちが、突然、「天皇暗殺を企てた」として逮捕され、
刑事裁判の後、うち24名に死刑判決が下されたという大きな事件です。

 この事件では、大審院(今の最高裁判所にあたります)が、非公開で裁判を行いました。

 しかも証人申請をすべて却下した上に、たった1か月程度の裁判で死刑判決を言い渡した
のでした。
 そのため、この事件の裁判が公正に行われたのかどうか、
 検察官による有罪の立証が十分だったのかどうか、
 被告人の言い分をキチンと聞く手続が行われたのか-、
 市民には全くわからないまま、死刑という重大な判決がくだされてしまったのです。

 こういったことを防ぐために、82条は、
「裁判は公開します。特に、政治、出版、人権に関する事件は必ず公開します。」
と定めたのです。


 裁判は、「行政(政府など)や立法(国会)が人権を侵害したときには、裁判手続の中で
人権を回復したり、侵害を止めさせたりできる」という制度です。
 せっかく裁判所に訴え出ても、裁判所が好き勝手をしたら、人権を回復できませんものね。
 ですから、皆さんも、気になる事件があったら、ぜひ、裁判所に足を運んでください。
足を運んで実際に裁判手続を見ることも、私たちの人権を守るための「不断の努力」の
ひとつです。

2017年8月1日火曜日

やや日めくり憲法 81条(違憲立法審査権)


<日本国憲法81条>
 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は
処分が憲法に適合するかしないかを決定する
権限を有する終審裁判所である。


 ここ数年、いろんな法律が「憲法違反だ!」と言われるのを耳にしませんか?
 安保法制(憲法9条違反)、
 秘密保護法(知る権利などの侵害)、
 共謀罪(表現の自由などの侵害)…。


 国会が作る法律が、こんなにも次々と違憲だと言われた時代は、
なかったのではないでしょうか。

 安保法案の審議中に開かれた憲法審査会で、自民党から呼ばれた
参考人(憲法学者)が、「安保法案は違憲だ」と発言して、世論が大きく
盛り上がったことは記憶に新しいかと思います。
 日本は民主主義国家なので、「全国民の代表」が集まる国会で作られた法律は
普通、有効です。
 でも、どんなに多数決で「この法律作ろう!」と決まった法律であっても、
憲法に違反する法律だったら…?
 それに「待った」をかけるのがこの81条です。
 民主主義のルールどおり、多数決で可決して法律が作られたとしても、だれかの
人権を侵害するものであってはならないのです。


 この81条は、立憲主義の表れの一つでもあります。
 権力の行使は憲法に根拠がなければならない、
 言い換えれば、権力は憲法に縛られるのが立憲主義でしたね。
 権力が、憲法に定めてある人権を侵害する法律を作ってしまったときには、
それを違憲無効にすることで権力を縛るのです。

 また、司法権が、「そんな法律は憲法に違反するから無効だ!」といって、
国会の立法権や内閣の行政権の濫用を食い止める働きをしますので、三権分立
の表れということもできます

 でも…冒頭で話したように、ここ数年、権力がやりたい放題やってます。

 自分たちは合憲だと思っているから、最高裁に違憲だと言われるまでは
やっていいんだと言い放った某与党の国会議員もいました。

 ただ、日本で「この法律は憲法違反だから裁判所に意見無効にして
もらおう!」と思っても、簡単な手続きではありません。
 なにか、その法律に関して具体的な事件や損害が発生しなければ、裁判
という形で裁判所が違憲性を審査することができないのです。

 なので、「法律ができた」→「さあ、裁判所はこの法律が違憲かどうか
審査してください!」というわけにはいかず、最高裁の判断がずっと出ない
ままということもあり得ます。

それを見越して、先ほどの国会議員は合憲だとゴリ押ししたのかもしれません。


 また、具体的な事件に結び付けて裁判が起こせたとしても、裁判所は
憲法判断をイヤがります。できるだけ憲法に触れずに事件を解決できない
ものか、と、いろいろ理屈をコネます。
 違憲立法審査権の講師に、とっても消極的なのです。

 そういう態度を改めさせるのは、結局、国民の「不断の努力」しかありません。
 積極的に違憲審査をしてほしい、という声をメディアに届けて、報道させる。
 違憲審査したがらない裁判所をしっかり批判する。
 そういう主権者の姿勢でしか、立憲主義も、民主主義も、うまく回らないのです。
 




改憲の先取り!? 親族の「扶養義務」強化の流れに注意(>_<)!



 生活保護を受けている人(Aさん)がいて、その人の親族がいる時。
 そして、その親族がAさんを扶養できる可能性がある場合があります。

 生活保護受給の際、地方自治体はその親族にどう対応しているのか、
厚生労働省が実態調査を始めるそうです。


● 生活保護の「扶養義務」を調査へ(朝日)
http://www.asahi.com/articles/ASK7M7391K7MUBQU01W.html


 扶養する経済力があるのに不適切に扶養義務を逃れている場合の対応
について、改善させる狙い、なんだそうです。


 「親族による扶養が受けられない」という事情は、生活保護利用の前提条件
ではありません。
 でも現実の生活保護実務では、自治体の窓口がまるで「親族による扶養」が
前提かのような説明をしたりして生活保護を利用したい人を追い返すケースが
頻発していて、結果、追い返された人が餓死するなど痛ましい事件が起きたり
しました。


 今回の厚労省の調査は、確実に、親族への「扶養義務」を強く負わせる政策の
足がかりとなります。

 家族なんだから、助けるのが当たり前でしょう?
 家族の輪を大事にするのは当然でしょう?
 そういう発想が根底に流れているように感じます。


 しかし、世の中そんなに絵に描いたような美しい家族ばかりでしょうか?


 家族だからといって以心伝心で愛し合って信じ合えているとは限りません。

 そりが合わず何年も音信不通の兄弟姉妹、嫁に陰湿ないじめを続ける
舅・姑、いわゆる“毒親”に縛られる子ども、妻に物理的・精神的な暴力を
振るい続ける夫… 

 ひとことで「家族なんだから助け合おうね」とまとめられても困る事情は、
たくさんあります。距離を置いた方が円満でいられる家族、縁を切ることで
平穏を取り戻した家族、それぞれの家族の数だけ、「幸せの形」があります。

 残念ながら、「扶養義務の強化」という政策は、この、それぞれの家族が
編み出した「幸せの形」を壊します。

 親族なんだから扶養しようと思わないの?
 今、財産いくらあるの?
 ちょっとは余裕あるんじゃないの?
 一人くらい面倒見られるんじゃないの?
 親族が困窮しているときに、自分たちの幸せだけ考えてていいの?

 …こういう、「まことに美しい正論めいた批判」で親族が追い詰められる
社会になると、どうなるでしょう?


 あまりつきあいのない親族に突然財産の調査が入ったり「扶養」を求められ
れば、多かれ少なかれ親族間に亀裂が走ります。
 亀裂が入るだけならまだしも、経済的負担がかかって結局全員が経済的に
“沈没”しかねません。
 暴力や精神的支配から逃げるために縁を切っているような事情があれば、
心身の安全すら危うくなります。

  
 そして、こういう制度が現実になれば、「親族に迷惑をかけたくない」という
思いから、そもそも生活保護の利用を自粛する流れになりかねません。
 強い扶養義務という制度が、困窮する人に、「親族に迷惑をかけることに
なるぞ」という圧力をかけて、窓口に行かせない、という構図ができあがって
しまうのではないでしょうか。


 日本国憲法25条は、国民に生存権を保障しています。
 困窮して「人間らしく」生きられない状況に陥れば、国家は当然にその人に
「人間らしい」生活を保障する義務がある。これは決してワガママなどではなく、
人権です。
 その生存権がきちんと実現できなくなるような制度は、憲法に抵触します。


 そして、もう一つ見過ごせないのが、この「扶養義務の強化」という流れが、
日本国憲法24条を変えようという発想と、とても似ているところです。
 それぞれの家族の幸せの形があり、家族のメンバー全員が尊厳ある存在
である。個人の尊厳と両性の本質的平等が、家庭の中でも守られなければ
ならないことを定めたのが24条。
 その24条を、ちゃぶ台をひっくり返すように変えようとしているのが、自民
党や、その背後にいる日本会議です。

 個人の尊厳よりも「家族」という秩序が大事。「自分らしさ」などどうでもよく、
家族という共同体の維持がなによりも優先される。自民党の改憲草案の
24条は、そういう「家制度」によく似た世界観に彩られています。

 親族なんだから扶養しろ、と迫る政策は、まさに改憲草案24条と同じ発想
ですね。


 改憲草案の先取りといっても過言ではない、厚労省の調査です。