最近、「立憲主義」という言葉が新聞紙上に登場するようになりました。
みなさんは、この「立憲主義」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
立憲主義というのは、一言で言えば、「国民の自由と権利を守るために、憲法を制定して国家権力を縛る」という考え方です。
むかし、絶対君主の圧政によって、市民の生命や財産、自由が簡単に奪われる時代がありました。
市民が圧政に苦しめられた経験から、権力は放っておくと必ず独裁・暴走・圧政を敷くようになるので、権力が好き勝手なことをして市民の権利と自由を侵害しないように、権力を縛らなければならない、と考えられるようになりました。
その「権力を縛るルール」が憲法だ、という考え方が、「近代立憲主義」です。
このことから、「仮に形式的に憲法という名前の法典があっても、基本的人権の尊重と権力分立の保障がないものは、もはや実質的には憲法の名に値しない」(フランス人権宣言第16条参照)と考えられているのです。
立憲主義の考え方を採っていない憲法は、もはや憲法ではない、ということです。
その意味で、聖徳太子が作ったとされる17条憲法は、このような意味の「憲法」ではない、ということがよく言われていますね。
この「立憲主義」を別の観点からみると、憲法は、多数決によっても侵すことができない個人の尊厳を守るものだ、ということができます。
つまり、人は1人1人違う考え方を持ち、違う生き方をしているけれど、それを認めようじゃないか、過半数を取った人たちの考え方によってそれ以外の人たちの考え方を否定したり自由を奪ったりしてはいけない、というものです。
例えば、選挙でナチスが第1党になったからといって、ナチスとは異なる考え方を持つ人たちを逮捕したり処罰したり、ユダヤ人を迫害したりしてはいけない、ということです。
昨日(7日)、菅官房長官は、憲法96条改正が今年7月に行われる参議院選挙の争点になると発言しました。
憲法96条は、憲法改正要件を定めた条文です。
現行の日本国憲法は、憲法改正要件として、①衆議院と参議院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成による発議、②国民投票での過半数の賛成、を定めています。
自民党はこのうち、①の要件について、「総議員の3分の2」から「過半数」に要件を緩めようとしています。
そうなると、時の政権与党、あるいはそのときに国会で過半数を取っている人たちの考え方によって、憲法を改正することが可能となってしまいます。
憲法は、「過半数を取った人たちの考え方によってそれ以外の人たちの考え方を否定したり自由を奪ったり不公平に扱ったりしてはいけない」というルールを定めたものなのに、
そのルールが、過半数を取った人たちの考え方によって決まる。
それって、変じゃない?
自民党憲法草案は、他にも、立憲主義の考え方とは異なる条文がいろいろ出てきます。
それはまた、追って…。