2017年4月2日日曜日

やや日めくり憲法 42条(二院制)


日本国憲法 42条〔二院制〕

国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。



 今日は42条、国会について、衆議院と参議院の二院制を
定めた条文でーす。

 日本政府が受け取ったGHQ草案では、国会は一院制でした
(!)が、新憲法を審議した国会で修正されて、二院制になり
ました。
 修正の理由は、①西欧型民主制の主流にならったこと、また、
②明治憲法の下で二院制だったことを受け継いだこと、などです。

 二院制は、選挙で選ばれた国会議員による下院と上院で構成
されます。この「下院」や「上院」をどういう名称でどう性格づける
かは国によって異なりますが、日本国憲法では、下院は衆議院、
上院は参議院としました。
 明治憲法では,衆議院と…貴族院(!)でした。

 衆議院は参議院と違って、任期も参議院より2年短い4年で、
突然の解散もありうるため、実際には4年よりずっと短い期間で
選挙されて変わることも多く、「今現在の国民の意思」が反映
される議院と言われます(一般的には)。

 そのため、内閣不信任決議権や予算先議権のほか、法律・予算
の議決や条約承認、内閣総理大臣の指名など、多くの事項につい
て、衆議院は参議院に優越します。
 そうすると、「衆議院だけで十分じゃないか。参議院なんて
要らないんじゃないの?」なんて意見もあります。

 しかし、「下院は多数支配、上院は理の支配」なんて言葉が
あるように、上院(参議院)は下院(衆議院)の軽率な行為や
多数派の暴走を止め、冷静な議論を促す存在意義があると考え
られています。
 国民の熱狂が、時として理性を失って暴政を生んでしまうこと
は、(ナチスの台頭など)歴史が証明しています。
 国民の熱狂のままに、「選挙で勝ったんだから何をしても許さ
れるんだ」とばかりに政治を進めることは、民主主義のはき違え
です。
 民主主義の本質は、議論することです。
 異なる立場の人々が、言葉を尽くしてありったけの知恵と理性
で、妥協点を見いだそうと議論するそのやりとりこそが、政治
(民主主義)です。

 2013年参議院選挙の前、自民党が衆議院では過半数以上を
占める一方、参議院では過半数を占めていない、いわゆる「ねじ
れ国会」と呼ばれる状態がありました。法律案が衆議院で可決して
も、参議院で否決されることに苛立った自民党は、参議院でも過半
数の議席を取ることを目指し、ねじれを「決められない政治」
「国政が停滞する」などと批判して、「ねじれ国会=悪」と一大
キャンペーンを張りました。

 しかし、その“ねじれ国会”を解消した2013年参議院選挙後、
第二次安倍内閣は、憲法違反との批判が強い特定秘密保護法、
安保関連法をまさに「数の暴力」で成立させました。
 そして現在は、(共謀罪改め)テロ等準備罪法案が国会に提出
されています。
 議席があるんだからこっちのもの(最後は多数決で勝つもんね)
という、議論をとことん軽視して民意を無視する姿勢は、国会と
主権者に対する侮辱と言わざるを得ません。

  民主主義をこっぱみじんにしかねないテロ等準備罪は、憲法の
破壊そのものです。簡単に「数の暴力」で野党がねじ伏せられて
しまう今、立憲主義を守るためには私たち主権者の理性と知恵の
総動員が必要です。

 あすわかでも再三お伝えしているとおり、テロ等準備罪はテロ
対策のものではなく、条約や五輪開催のためにもまっっったく
不要なものです。
http://www.asuno-jiyuu.com/2017/03/blog-post_21.html
 ごくごく普通の一般市民全員が監視対象になり、犯罪をでっち
上げられかねない、とてつもなく怖い法律です。
 監視されたい人なんていませんよね。
 少しでも政治に対して不満の声を上げようものなら捕まるかもしれ
ない、なんてびくびくするような社会で、生活したくありません。

 そんな国民の声を届けるために、反対だという声を国会に届ける
普段からの不断の努力が必要です。

 声をあげるといっても、デモに参加したり集会でシュプレヒコールを
あげたり…それだけが「声を上げる」方法ではありません。
 おかしいなと思った報道についてツイートしてみる。
 共感できるツイートをリツイートしてみる。
 よかったなと思う報道番組に、応援の手紙を書く。
おかしいなと思った報道番組に、批判の手紙を書く。
 新聞や雑誌、ラジオに投書する。
 こういうこと、とってもとっても大事な「不断の努力」です!