2019年6月25日火曜日

めちゃくちゃなイージス・アショア配備計画 怒ったら「非国民」「役立たず」って、いつの時代なのか。。。



 秋田市の陸上自衛隊新屋演習場に、陸上配備型迎撃ミサイル
システム「イージス・アショア」(陸上イージス)配備する、
という計画。

 防衛省がロクな測量をせず、ずさんすぎて市民が不安と怒りを
募らせているのに、説明会で防衛省職員が住民の目の前で居眠り
したり。さんざんですね。

 でも、沖縄の辺野古の問題を見ればわかるとおり、現政権に
とって「地方自治」や「地元住民の意思」なんて、その程度の
ものです(絶対に許されないのに…悔しいですね)。


 知事は、住民の怒りを受け止め、また防衛省の一連の姿勢を
受けて、現段階ではイージス配備の協議には応じられない、と
述べています。

 そりゃ当然だろうな、と思うのですが、こんな報道が。


● 「イージス引き受けないのは非国民との批判、県内外から」
             秋田の佐竹知事が明らかに (毎日)
https://mainichi.jp/articles/20190624/k00/00m/010/155000c


 県内外から
「非国民だ」
「(陸上イージスを引き受けず)秋田には原発もなく、日本の
何の役に立っているのか」
という非難の声が届いているそうです。


 非国民…
 こんな言葉が、21世紀の民主主義国家でふつうに使われている
ことに、戦慄を覚えます。
 日本のなんの役に立っているのか、という非難も、別世界からの
声かと思いたい。

 人というものは、何か国家の役に立つために産まれてきたわけ
ではありません。
 国家の役に立つために生きているのではありません。
 
 同じように、秋田県(はじめどこの自治体)も、国家の役に立つ
ために存在しているのではありません。
 国家の役に立つことが人や自治体の存在理由なのだとしたら、
もうそこには人権や自由など認められる余地はありません。


 「お前は国家の役に立っているのか」という定規で価値をはから
れるような社会は、自由とも民主主義とも対極にある、マスメディ
アがこぞって揶揄したりバカにしたりしている、あの「偉大なる
将軍様」の国と同じです。


 秋田の住民の方々の怒りや不安は当たり前のもので、知事がそれ
を受け止めて代表して防衛省に対峙しているのも当たり前のこと。
 
 防衛省は、決して、「秋田には秋田の、しかし日本には日本の
民主主義がある」などとは言わないよう、誠実に、計画を1から
見直すしかないように思います。