2014年4月21日月曜日

集団的自衛権の「限定的行使」というまやかし

 これまで、あすわかでは、憲法は権力者を縛るためのものだということで、立憲主義というものの大切さをお知らせしてきました。
 立憲主義がなければどうなるかということは、お隣の中国を見ればよく分かります。中国では、憲法の上に共産党があると理解されていて、憲法や法律は国や国民を統治するための手段に過ぎないのです。憲法は、権力者が国民を縛る道具になっているということですね。


 ところが日本で、「憲法は最高規範じゃない」と言いだした人がいたのでびっくりしました。
平成26年4月21日付けの東京新聞と中日新聞に掲載されたインタビューによると、この方の結論は、①憲法の上に道徳律や自然法がある、②憲法だけでは何もできず、重要なのは行政法であり、憲法学は不要だという議論もある、③憲法などを重視しすぎてやるべきことが達成できなくては困るということでした。
 わお。
あんまり自信満々におっしゃるので、思わず憲法を見返しました。憲法98条には、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部はその効力を有しない。」良かった、良かった。最高法規だった。


 ただ、この発言をした人の肩書を見て、二度びっくりしました。安保法制懇座長代理の北岡伸一さんじゃないですか。


 ①憲法の上に道徳律や自然法があるというご主張についてですが、そこで言われる道徳律や自然法って何、どういうふうに決められるの?というのは、実ははっきりしていません。
文科大臣が教育勅語を見直すべきだと言ったり、教科書検定のやり方を見たり、愛国教育という話を聞いたりすると、憲法の上にある「道徳」や「自然法」っていうものは、自民党の考える道徳や自然法なんじゃないかと不安になります。
どこかの政党が政権を取った時に、その時々の政権の考える道徳や自然法で一人ひとりが持っている権利を勝手に侵害されないように、憲法を最高法規として、それに反する法律を無効にしたということなんですけれどもね。ひょっとして、憲法の上に党があるようなどこかの国と同じ状況になってきてますか?


 次に、②憲法学はいらなくて、行政法があればいいというのは、要するに国民の権利はどうでもよくて、行政がやりたいことができる仕組みさえあればいいということですね。
 わお。
 ということで、もう一度、憲法を読み返しました。
憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と書いてあります。良かった、良かった。公務員は、憲法を尊重して守る義務があるということは、憲法に反して国民の権利を侵害する行政をしてはいけないということになっていました。
そもそも行政法というのは、憲法が定めているいろんなことを実現するためのルールです。行政法よりも憲法のほうが先にあるんですね(だから公務員には憲法尊重擁護義務があるんです)。
行政法が憲法よりも大事というのは、「法の下剋上」とでもいうべきものでしょう。


 それから、③憲法を重視しすぎてやるべきことができなくては困るっていうことは、憲法を無視しますってことですね。解釈改憲ですらないということのようです。
これまで分かったような、分からないような説明をしてこられましたが、すっきりしました。


 北岡さんは、集団的自衛権を限定的に行使すると言っていますが、憲法すら無視しようという人たちですから、何の歯止めにもならないことははっきりしましたね。自民党の中にも、限定すべきではないと言っていた人もいましたし。
 日本の安全に密接にかかわる場合に限定するんだと言っているようですが、特定秘密保護法のおかげで、どう安全にかかわるのかを「秘密」にする準備はできています。そうすると、たとえ地球の裏側でも「安全にかかわるんだ」と言ってしまえば、そうなってしまいかねません。限定的集団的自衛権というのは、まやかしだということがはっきりしました。


 日本は法治国家ですから、日本の政治や行政は、法律に基づいてしなければなりません。
ですから、何か政策を進めるときには、必要性だけでなく、憲法や法律に基づいているかどうかという許容性も十分に考えなければなりません。
北岡さんは、法律を作るからいいんだと主張しているようですが、その法律が憲法に違反していたら意味はありません。無効な法律を根拠にした行政は、法治主義の名に値しないのです。


「集団的自衛権の限定的行使なら、まあいいかな」と思っていた皆さん。
「限定的」というのはまやかしですよ。