昨年10月に大阪で開催した「一夜限りかもしれない(?)24条の会」。
集団的自衛権をめぐる騒ぎの陰で、一夜限りで終わらせてはいけないなぁ、と思うような出来事が続いています。
ちょっと、このブログ記事を見てみてください。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11828954845.html
「女性の社会進出について」。
「女性が働かなければならない社会は、女性の人生選択の自由を制約することになる。」
なんでなんで?
「いまのところ日本の女性は、仕事をすることも選べるし、専業主婦になることも選択できる。」
まぁね…
「しかし女性が全員働く社会では、専業主婦の道を選ぶことは出来なくなる。
働く女性を支援しようと保育園や託児所をどんどん増設することは、女性に働くことを求め、
逆説的であるが、少子化を進行することになるのではないかと思う。」
そういえばそうかも…と思ってしまった人もいるんじゃないでしょうかね。
でも、その前にはこんなふうに書いてあります。
「男女は結婚をして一つの家庭を築き、
男が外に出て働き、女は子供を生んで家庭を守る、
その伝統的な考え方に立ち返るべきではないのか。」
ほう…。
男が外に出て働き、女は子供を生んで家庭を守る、
それが伝統的な考え方なんでしょうか…?
その昔、日本に住む人の大半が農民だったのではないでしょうか。
農民の家で、男だけが畑仕事をし、女は家にいましたか?
商人の家で、店に出るのは男だけでしたか?
子どもを産まないで暮らしたい人、
同性のパートナーと暮らしたい人、
パートナーはいらないと思っている人、
家事よりも外で働くのが得意な女性、
外で働くよりも家事が得意な男性、
パートナーと二人でそこそこ働いて、家にいる時間も大切にして生きていきたい人。
こういった人たちの生き方は否定されるのですか?
男は外で働き、女は家庭を守る。
これが昔からの日本の伝統だって考えていることを、24条の会では「おっさんのファンタジー」と名付けました。
昔からの日本には、同性愛もあったし、家庭の在り方もいろいろだった。
男と女が結婚して、男は仕事、女が家庭、なんて、つい最近作られた家族像にすぎません。
家族の作り方(あるいは家族を作らないこと)、人との結びつき方が自由であること。
それは、王様に与えられて初めて実現する自由ではなくて、人が生まれながらにして持っている自由です。
「ウーマンリブ運動が始まり、男女の生活、仕事上の差があることが問題になり、
男女の差を一切なくすべきだという意見が出てくるようになって、」
だーかーらー!男女の差を一切なくすべきだなんて、誰が言ったの?
24条の会でも話題に上りましたけど、両性の平等=性差を一切否定すること、なんて言ってませんから!
育鵬社教科書もそうですが、ウソもたいがいにしていただきたい。
「人類が長い歴史の中で造り上げてきた最適社会」といいますが、
すべての人が自分らしく、固定観念に縛られないで、進みたい道を行く状態こそが、
その人の力を最大限に引き出せる「最適社会」なんじゃないでしょうか。
「子育て、年金、介護など何でも公務に頼るばかりではなく、
もっと家庭がその役割を拡大する方向に進むべきという気がしている。」
では、福祉は何のためにあるのでしょうか。
家族にすべてが覆いかぶさっていた時代に、それを一身に背負って苦しんでいたのは誰でしょうか。
すでに、自民党憲法草案は先取りされつつあるのでしょうか。
続いてはこんなニュースです。
何かというと、日弁連が石原元東京都知事に対し警告をしました。
性的少数者に対し、差別的発言をしたというものです。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/complaint/year/2014/140422.html
性的なアイデンティティを否定することは、その人「個人」を尊重しない、ということ。
自民党憲法草案では、13条の「個」の字が消えています。
男と女とでつがいにならなきゃいけないなんて、それもまた「おっさんのファンタジー」です。
自分にウソついてまで、無理してしなきゃいけないことじゃない。
その人らしく生きればいいじゃないですか。
立憲主義の下では、ごく自然な、当たり前のことですよ。