東京都への4度目の緊急事態宣言の発出。それでも五輪は開催。
首都圏の会場での「無観客」が決まったとはいえ、数万人単位で
海外から選手団や関係者、メディアが押し寄せるわけです。
● 宣言下での「安心安全な五輪」 菅首相の答えかみ合わず (PAGE)
https://news.yahoo.co.jp/articles/694041ff17efde1e85767665323bfe8bdb7b6378
● 首相「5者協議で決められた」 五輪の無観客決定で説明 (朝日)
https://news.yahoo.co.jp/articles/43a989bc84c6542c85bac14370548155456a0c71
首相は「安全安心な大会の実現が政府の責務だと申し上げ、緊急
事態宣言を発した場合は無観客も辞さないとも発言してきた」と
説明した、とのこと…。
しかし、五輪を開催すれば感染拡大するのは必然なので、
「安全・安心な五輪の実現」は不可能です。
中止の選択肢を考えず、なにがなんでも開催するという姿勢自体が、
「決して命は最優先にしない」というメッセージを放っていて暴力的
です。私たちには「健康で文化的な最低限度の生活」を送る人権が
あります(生存権)。絶え間ない感染症の危険にさらされることは、
生存権をふみにじる暴力です。
納得いかない気持ちを、しっかり形にして発信し、票に託しましょう。
1年以上、自粛・中止・延期を求められ、失業したり店をたたんだり
会いたい人に会えなかったり、耐えて耐えて犠牲になってきた身には
「なぜ五輪?」という疑問が自然とわきます。積極的に行政が今まで
の犠牲を無駄にすることへの怒りも、当然です。
絆、感動、スポーツの力…そんな言葉では納得できない。
「納得できない」という気持ちは抑えてはいけません。
理屈で、科学的にものを考える自分を、決して捨てずに、おかしいこと
にはおかしいと声をあげ、説明を求め続けましょう。政府から返って
くる非科学的な精神論や根性論を受け入れれば、「人の命が最優先では
ない政治」を加速させることになります。
これだったら私にもできる、というやり方が、あるはずです。
SNSを使っても、メールでの投稿や投書も、大きな一仕事です。
自分なりの「不断の努力」を続けましょう。