27条1項 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」
日本国憲法27条1項は、25条の生存権の保障を受けて、国民に、
働いて得た収入で、人間らしく生活できるように「勤労の権利」を
保障しています。
人にとって労働は、単にお金を得るためのものだけではありません。
仕事を通してより豊かな人に成長したい、あるいは生きがいを得たい、
という人格の発展に深く関係しています。
そう、働くことは生きること。
27条は、労働そのものも保障しているのです。
ですから、国民は、自分で働き口を見つけられないときは、国に
対して働き口を紹介するように要求できますし、働き口を見つけ
られない時にはそれなりの生活費を要求できます。
だから、職業安定法、雇用保険法、雇用対策法などがあるわけです。
一方で、27条1項は、国民に勤労を義務付けています。
働けるのに働こうとしないために生活が危うくなっている者に
対してまで、生存権や労働権の保障は及ばないことを念のために
規定したものといえましょう。たとえば、生活保護法4条1項は、
これを受けて「利用し得る資産、能力その他あらゆるもの」を
活用することを生活保護受給要件としています。
しかし、安易に国民に勤労の義務を課し、個人の生存が脅かさ
れるようなことがあってはならないことはいうまでもありません。
●27条2項
「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、
法律でこれを定める。」
2項は労働条件に関する基準を法律で定めることを求めて
います。ここから、労働基準法、最低賃金法などの法律が
生まれました。
なぜこのような条文ができたのか分かりますか?
そもそも、給料・働く時間・勤務地・業務内容などの労働条件は、
会社との「契約」によって定まります。この「契約」の内容は、
会社と労働者の「交渉」によって決定します。
でも、会社と対等な立場で交渉して契約する人って…現実的に
はなかなかいません。雇われている労働者よりも、雇っている
会社の方が、断然優位な立場にありますよね。
歴史を振り返ると、労働者が、「生きていくためには仕方が
ない…」と、ものすごく低い賃金で、朝から晩まで休日なしで
働かされたりすることがありました。
これでは国民の自分らしい自由な人生も尊厳も危ういので、
それを守るため、国が労働条件に関する基準を法律で定める
ことで、会社と労働者の契約に介入することを宣言したのです。
しかも、単に法律で基準を定めればよいというわけではありません。
憲法25条(生存権)理念があるからです。
法律に定められる労働条件の基準は、「人間らしい働き方」を
実現するものでなければならないのです。これを受けて、労働基準
法は「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要
を充たすべきものでなければならない。」(1条1項)と定め、
給料や労働時間等に関する基準について、詳しい規定を置きました。
とはいえ、「人間らしい働き方」はまだまだ実現されていません。
働き過ぎやパワハラによって死に至る「過労死」の問題、労働者を
低賃金・長時間労働等で使い潰す「ブラック企業」の問題等が
残っているからです。
こんな状況を、憲法が許しているわけがありません。
「過労死」や「ブラック企業」をなくすために、「人間らしい働き方」
を実現するために、私たちも声を上げていく必要があります。
●27条3項「児童は、これを酷使してはならない。」
児童の酷使は、その子にとって取り返しのつかないダメージを
与えます。子どもは特に自分で声をあげて権利主張できない弱者
でもあるため、労働保護の歴史は、まず児童の保護から始まり
ました。労働基準法は、第6章で「年少者」を保護しています。
また、児童福祉に関して児童福祉法があり、条約として子どもの
権利条約があります。