学問の自由は、これを保障する。 (五・七・五)
日本国憲法23条は、真理の発見・探求する学問研究、研究結果を発表する
自由を保障しています。
自治を行うこと、つまり大学の自治も保障しています。
日本国憲法が特に、大学に着目して「学問の自由」を保障しているには、わけが
あります。
それは、明治憲法(大日本帝国憲法)の時代に、政府が研究者たちの研究内容に
介入し、政府に都合の悪い研究をしている研究者の権利を次々に侵害したからなの
です。
戦前の日本には、治安維持法という法律がありました。
この法律は、思想を理由に国が個人を処罰するというものでした。
この治安維持法などを根拠に「国体」(天皇が唯一絶対の統治者であるという
思想)を否定したという理由で、学生、宗教者、戦争に反対するとみなされた人々
など様々な人々は、逮捕や拷問を受けました(命を落とした人も少なくありません)。
日本が戦争に突き進み軍国主義が強まっていく中で、次第に大学の研究者にも
弾圧の矛先が向きました。
たとえば
大学教授が、学説内容を理由として、議員を辞めさせられました。
美濃部達吉という憲法学者は、東京帝国大学法学部学長をつとめたことも
ある人で、「天皇機関説」という当時の一般的な学説を主張していました。
美濃部教授は、帝国議会の貴族院の議員でもあったのですが、議会で、天皇
機関説は国体を否定する不敬な学説だと批判され、不敬罪(天皇を侮辱した
という犯罪)で告発され、貴族院議員を辞職することになりました。
また、
政府は研究内容を理由として大学の人事にも介入していきました。
京都帝国大学の刑法学者の滝川幸辰教授の見解(姦通罪が妻だけに適用になる
のはおかしい、など)を理由に、当時の文部大臣らが罷免を要求し、文部省が
滝川を休職処分にしました。
のはおかしい、など)を理由に、当時の文部大臣らが罷免を要求し、文部省が
滝川を休職処分にしました。
こうした歴史を踏まえて、日本国憲法は、研究内容や大学人事に権力者が介入
して学問の自由を侵害しないように、大学の自治も保障しています(立憲主義の
現れですね)。
学問研究は、研究者の個人の自由にとどまりません。
学問研究が、社会の発展、暮らしの改善、技術革新等に寄与し、市民が社会問題に関して考えるにあたり必要な情報や知見となります。
知りたい、学びたい。
社会に生きる人ならば、多かれ少なかれ持つ当然の欲求です。
知ることで「もっと知りたい」と思う。学ぶことで「これはおかしいんじゃ
ないか」と疑問を持てる。
知り続け、学び続け、人は絶え間なく成長していけます。
そして学び合う人同士が交流し、会話し、議論することで、もっともっと
ゆたかな社会が築ける。
例えばあすわかの憲法カフェも、法学や歴史学や社会学など様々な研究がある
からこそできることです。
そう、学問研究が自由であることは、私たち一人ひとりの「人としての豊かさ」
と成長に不可欠なだけでなく、社会・暮らしの発展にも不可欠なのです。
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