2017年2月6日月曜日

やや日めくり憲法 26条(教育を受ける権利)


日本国憲法26条
 1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、
  ひとしく教育を受ける権利を有する。
 2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に

  普通教育を受けさせ る義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。



 1項は「教育を受ける権利」、2項は「教育を受けさせる義務」と
「義務教育の無償」について書かれています。
 1項で書かれているように、教育を受けることは「権利」です。
 最高裁判決では、
「一個の人間として、また、一市民として、成長、発育し、自己の人格を
完成、実現させるために必要な学習をする権利を有する」とも説明されて
います。

 生涯教育という言葉もあるように、教育を受ける主体は子どもに限り
ませんが、特に子どもの場合は、「その学習要求を充足するための
教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する」権利が保障されて
いると、解釈されています。

 さらに「教育を受ける権利」(26条)は、子どもを「大人と国家に
とって都合のいい国民を育てる教育」から守ります。
 憲法はそのような思想教育や洗脳を許しません。
 例えば、公教育で教育勅語の暗記とか「●●首相バンザイ」とか、大人の
支配欲を満たすためだけの生活指導とか、そんな教育は許されないのです。

 2項は、この子どもの教育を受ける権利に対応しています。
 義務教育は、「子どもが教育を受ける義務」ではなく「子どもに教育を
受けさせる義務」が正解です。


 このように、26条は、「教育を受ける立場」の子どもの権利を中心に
構成されています。


 ところが、自民党の憲法改正案草案では、

3 国は、教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないもので
 あることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。

 という条文が、追加されています。

 このように「教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないもの」と
書かれることに違和感を覚えませんか?
 誰のための、何のための教育なんでしょう。


 みなさんが小学校、中学校、そして今に至るまで勉強してきたのは、
国のためでしたか?
 自民党憲法改正草案のような規定だと、国の未来に必要ではない
(と国が考える)ものは、教育として保障されない可能性ができますし、
「御国のために」必要な教育だとして、「教育環境の整備」の名の下に、
国が教育内容へ積極的に介入することにもつながります。

戦前か!ヽ(´o`; オイオイ


 国が教育の内容、枠組みに行き過ぎた介入をすると、「教育を受ける
立場」の子どもを縛ることになります。これは立憲主義からしても
おかしいですよね。
 国のために国民があるのではなく、国民のために国があるのです。
 
 教育を受ける人の権利を中心とする、今の26条の精神を大切に
したいものです。

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