2014年5月8日木曜日

国民の三大義務は立憲主義に反する?


 おかげさまで、あすわかは若干知名度が上がったようで
(記事に取りあげて下さったマスコミ各社には改めてお礼
申し上げます)、連日たくさんの励ましや応援のメッセージ
を頂いております。
 と共に、ご批判のメッセージもたくさん頂いております。
どちらも大量なので、人手不足な事務局では対応しきれて
おらず、その点大変申し訳ございません。


 今日は、お寄せ頂くご批判の中でも特に顕著なものについて、回答いたします。


<ご批判>
 立憲主義は国民が国家権力を縛るという考えであり

日本国憲法は立憲主義に基づいている、と説明しているが、
日本国憲法には国民の三大義務が定められていて、これら
の規定は国民を縛っている。だから日本国憲法が立憲主義
の考えに基づいているなどという説明は間違いではないのか。


<回答>
 三大義務についてちょびっと説明させてくださいね。
 日本国憲法には
①勤労の義務(27条)、
②教育の義務(26条)、
③納税の義務(30条)、が規定されています。

 ①勤労の義務は、国家が国民に労働を強制できる、なんて
意味はなく、精神的指針というか倫理的義務として定められて
います。

 ②教育の義務は、正確には「親が子女に教育を受けさせる
義務」ですね。子どもが教育を受ける権利を持っていることに
対応した規定であり、また、もし子どもが教育を受けられない
環境にあるときには、国家が後見的な立場から、親に対して
指導しなければならないことも意味する規定、と言われています。

 ③納税の義務は、明治憲法の規定を引き継いだものなの
ですが、この「国民は、法律の定めるところにより、納税の
義務を負ふ。」という規定が現代において重要な意味を持つ
のは、「法律の定めるところにより」という部分です。つまり、
公権力は(国会議員が作る)法律なくして勝手に国民から
税を取り立ててはいけないよ、という意味が込められています。

 国民の三大義務、というのは、こういう内容です。


 さて、立憲主義と三大義務の関係ですが、この2つは真っ向
からぶつかっているのでしょうか? 
 立憲主義とは、以前から説明しているとおり、国民の自由や
人権を守るために、国家権力の暴走を(憲)法によって制限する
(縛る)、という考えです。天賦人権や社会契約論など近代の
思想を背景に生まれたこの立憲主義の考えこそが、「近代に
おける憲法」を形作りました。

 どの国にも(あの専制国家にも)「憲法」と名前のついた法は
あります。けれども、「近代における憲法」の本質は、国民の
自由や人権を保障するために国家権力を制限するところに
あります。
 フランス人権宣言16条が、
 「人権保障や権力分立とか国家権力を制限する規定がない
憲法は『憲法』と名乗る資格はない」(←超訳です☆)
 と規定しているのは、こういう考えに立っているからこそです。


 上記の三大義務の規定は、立憲主義の考えに反する形で
国家が何かしらを国民に強制して国民の生を縛る、という規定
ではありません。むしろ民主主義的・自由主義的な国家を運営
していく上での注意書きであったり、裏の意味として国家になに
か責務を負わせていたり、国家の行いに制限をかけていたりする
意味合いがあります。本質的に、立憲主義の精神と矛盾するよう
なものではありません。(憲法には国家権力を縛る規定以外の
規定を置いてはいけない、というルールがあるわけでもありませ
んしね。)


 学校で憲法を学ぶ時に、「憲法の三大原則」「国民の三大義務」と、
まるで2大テーマかのように暗記させられたりするから、誤解して
しまうのかもしれませんね。

 
 ということで、プチ解説でした~。