先日、国際法学者の松井芳郎先生の講演を聴きに行ってきました。
国際法上、集団的自衛権がどのような内容で理解され、どのように位置づけられてきたのか。そして、その歴史の中で、いま安倍政権がやろうとしている解釈改憲をどう評価すべきなのか。先生のご意見をうかがいました。
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第一次世界大戦までは、国際法上「戦争に訴える自由」が認められていましたが、
国連憲章で武力行使が原則禁止とされ、安保理決議による軍事制裁と個別的・集団的自衛権の行使だけが、武力行使を正当化するものとされました。
原則禁止の武力行使を例外的に正当化するものである以上、国連憲章上の自衛権とされるための要件は極めて厳しく、現実に武力行使を受けて自衛の必要性があり、手段も均衡のとれたものでなければなりません。
しかし、ベトナム戦争やイラク戦争等において、自衛権行使の名目で行われたアメリカの武力行使は、自衛の必要性を欠く違法な武力行使でした。
集団的自衛権の行使を容認すれば、明白に根拠を欠くアメリカの侵略戦争に、日本も参加せざるをえない事態が容易に想像できます。
今の日本政府は、日米同盟を大前提とし、安倍首相が設定する個々の軍事的シナリオの(日本の領海内の米軍艦船に対する攻撃や、米国本土へ向かうミサイルに対応する)ために集団的自衛権が必要だから、憲法解釈を変えなければならないとの議論をしています。
しかし、「日米同盟のために憲法が邪魔だから解釈を変えよう。」「首相である私が責任者だから、私の責任で憲法を変えよう。」というのは、立憲主義・民主主義国家の首相にあるまじき発言です。
集団的自衛権行使容認は、国民の権利義務に対して非常に大きな影響を与えるもの。
当然、国民に選択をさせなければなりません。
首相や内閣限りで実現できる事柄ではないのです。
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政府は、憲法に基づく政治をしなければなりません(立憲主義)。
政府が大前提とすべきは、日米同盟ではなく憲法です。憲法9条は、集団的自衛権の行使を認めていません。
集団的自衛権の行使を可能にするためには、憲法を変えなければなりません。
民主主義の日本で、憲法を変えることができるのは国民だけです。
国民による憲法改正を経ることなく、政府の勝手な憲法解釈で集団的自衛権の行使を容認し、国の在り方を根本から変えることは許されません。