2020年10月6日火曜日

「異論を許さない政治」→次に狙われるのは自分かもしれない、という想像


 映画界で活躍する方々が、日本学術会議への政治介入について抗議
声明を出しました。

● 「任命除外を憂慮し、怒り」 是枝裕和監督らが抗議声明 (朝日)
 https://www.asahi.com/articles/ASNB62QXZNB6UTIL001.html




 憲法23条「学問の自由(=学問コミュニティの自由)」は、
高等学術機関の自律性を保障します。政治介入は許されません。
菅首相はその理由を明かさず、排除された6名の研究者が前政権へ
批判的な立場をとっていたからでは…という想像は容易につきます
が、重要なのは「いかなる理由であれ許されない」ということです。

 高度な専門知を持っていない素人の権力者が、専門家の判断領域
に「その研究はムダ/役に立つ」「この学者は有能/無能」と口出し
すること自体が、(素人が勝手に医者に代わって診察をするのと同じ
くらい)恥ずべき・危険なものだということを、今一度確認しあい
たいと思います。
 政治の熱狂にも流されない、冷徹な第三者としてアドバイスする
専門機関は、国家の安全運転のためには必須です。高度な専門知に
よる、国民の福祉・文化・科学の発展のための冷静な政策提言は、
時に熱狂する政治を後押しすることも、警告することもあるでしょう。
よりよい社会のためのアドバイザーは、権力に翼賛してはいけない
し、盲従してもいけません(翼賛したら、アドバイザーの意味がない
ですもんね)。
 国立アカデミーである日本学術会議が内閣府の所轄であることは
「首相が人事を掌握して当たり前」な理由にはなりません。
独立していてくれなきゃ困る機関なのです。

 7年8カ月、一貫して進められた「異論を許さない政治」を、
菅政権はそのまま忠実に引き継ぎ、その勢いを強めた最初のシン
ボリックな出来事として、日本学術会議への人事介入は起きました。
異論つぶしの一貫として、まず日本学術会議を狙ったのは今となれ
ばさもありなんという感じですが、異論を許さないというのは、
議論や批判を許さないということ。民主主義を憎悪し、壊すという
ことです。


 国民がこのままこの事件を容認・スルーすれば、政権は「異論
つぶし」を続けるでしょう。次は、だれが、どこが、狙われるで
しょうか。

 そう、「次に狙われるのは自分かもしれない」と想像できるか
どうかが、大切です。

 映画人有志による抗議声明は、「次に狙われるのは映画かもしれ
ない」と想像した方々の「この事件は他人事ではない」という危機感
が生み出したものです。そのきわめて鋭敏なアンテナに、どうか一人
でも多くの人が続くよう、願わずにはいられません。

 この人事介入の事件の被害者は、私たちも含む国民全員だということ。
決して、「権力 vs 排除された6人の学者」などという小さな問題では
ないこと。その本質を忘れずに、しつこく、違和感や疑問を大切に、
発信していきませんか。

 何が起き、何がなされようとしているのか、的確な報道を望みます。