DaiGo氏が自身の配信動画にてホームレスや生活保護受給者への
猛烈なヘイト発言と優生思想を吐露したことは、すでにご承知の
とおりです。
何度でも何度でも、
自身の力ではどうにもならない事情で生活苦や住まいを失うリスク
は、だれにでもあること(経済苦は、決して自己責任と済ませること
はできないこと)、
また、尊厳ある、人間らしい生活を送ることは人権として保障され
ていて、その生活を維持させるべくサポートすることは、国家(行政)
の義務であることを、確認し合いたいと思います。
経済的弱者への差別は、他の差別と同様、「無知」「浅はかさ」が
生むものです。人に「学び続ける姿勢」がなければ、差別はなくなら
ないことを、改めて思い知らされます。
ホームレス支援の活動を永年続けるNPO法人抱樸(ほうぼく)の
理事長・奥田知志氏が、DaiGo氏のヘイト発言の件で、見解や対応に
ついて述べられています。なにがどう問題で危険なのか、明瞭ですの
で、ぜひ全文お読みになってみてください。
<DaiGo氏の差別発言に関する見解と経緯、そして対応について>
<一部抜粋>
「必要のない命」「軽い」「どうでもいい」などの一連の発言は、
命の絶対的で普遍的な価値を蔑ろにするものだと思います。
また、ホームレスや生活保護受給者の命と「猫」の命を比べること
自体の問題もあります。
このような発言は、命を分断することになり、ついには「意味の
ない命」あるいは「価値のない命」は殺して良いということになり
かねないと思います。すでに触れた通り、現にそのような事件は
起こっています。
さらに「謝罪」動画においてホームレスの就労率のことに触れら
れていましたが、自立に向けた支援が必要であることは言うまでも
ありませんが、「頑張っているか、いないか」が命の価値づけの
基準となってはいけません。自立支援という事柄と生存権や命の普遍
的価値の事柄は別の事柄です。第一に命の普遍的価値が確立されなけ
れば、自立支援は成立しません。これが逆転してしまう事態、すなわち
「自立できる人だけ支える」ということになってはいけません。
困窮や貧困は、個人の問題を超えて経済状況など社会的要因が大きく
影響しています。それはコロナ禍によって多くの人が困窮状態に置かれ
た事実を見ても明らかです。この点を全く踏まえず「個人の問題」
「努力が足りない」「自己責任」といってしまうことで問題が矮小化
されます。自らが責任を果たせる社会であるために、周囲の助けや公的
支援が必要です。自己責任論は、社会や国が無責任でいるための方便と
なっています。DaiGo氏の発言は、これを助長することになります。
<抜粋終わり>