「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和の
うちに生存する権利を有する」
前文で宣言される“平和的生存権”は平和主義の大切な規定ですが、
「恐怖と欠乏」つまりあらゆる暴力と貧困がなくならなければ「平和」
ではない(戦争がなければ平和、というわけではない)と考えている
点に注目しましょう。
暴力や貧困は、人から平穏と自由を奪い、「人間らしさ」「その人
らしさ」を失わせるものです。暴力と貧困におびえる生活は、その人
の尊厳をおびやかすものです。
ならばその人の尊厳(人間らしさ)を守るのは、政治の役目です。
人間らしく、1日3回の食事をとり、働き、休み、笑い、十分に寝る。
人が最低限の人間らしさを保てる生活を保障することは、国家の義務です。
ここでまず、生存権を思い出せるかと思います。
また、夫からのDV、親からの虐待に怯えながら生活する女性や子ども
のことを思えば、24条の後半の部分を考えてみてください。
24条後半
「…家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と
両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
つまり、DVやモラハラで苦しむ女性、虐待される子どもたちを保護
するシステムが、国に要求されているのではないでしょうか。
女性や子どもたちの尊厳を守るシステムを求める人権が、24条で
保障されているのです。
また、貧困や暴力から抜け出せる知識・技能の習得には教育が必須
です。自由にものを考え自由に人生を選択できる人間へと成長するため、
子どもは親や国家に教育を求める権利があります(26条)。
暴力や貧困に怯える必要のない生活を維持するためには、収入が必要
である上に、心身に良好な労働環境が整っている必要があります。
その人らしく働ける環境や条件を求める人権が、27条や28条で
保障されています。
政治が、そういった社会権をしっかり保障して、この国に生きる
だれもが「恐怖と欠乏」に怯える必要のない生活を送れるような
インフラ整備をして運用して、はじめて私たちは「平和のうちに
生きる」ことができます。
今、補償も、ワクチンも、足りませんね。
病院も保健所も足りない。
児童相談所も女性センターも労基署もスタッフ不足です。
(…ため息)
こういう政治はおかしい、と。
憲法とどんどんかけ離れていく生活はおかしい、と。
何度でも何度でも、確認し合いましょう。