2021年4月28日水曜日

「表現する場」をないがしろにする政治には、警戒が必要だということ

 

 行政が新型コロナウイルスの感染拡大防止目的と称して、まともな

補償をしないまま映画館、美術館、書店、コンサートホールなどの

営業自粛を求めていることは、権力がいかに国民の命や生活と共に

「表現の自由」を軽視しているか、を意味します。

「表現する場」なんて無くなってもいいや、とばかりに。


 (定期的に語っていることですが)

「表現の自由」という人権について。

 自分の思い、考え、感覚を「表現する」方法はいろいろありますね。

語る。書く。描く。歌う。踊る。演じる。吟じる。奏でる…

発表(表現)したい!と思った時に、表現したい場所で、表現したい

方法で表現することで、人は、より「なりたい自分」になれます。


 また、人々は報道を見て聞いて、政治への疑問や違和感を抱き、

率直な意見や感想を語り合ったり投書したりSNSで発信してみたり、

最終的には一票を投じ、選ばれた議員や政権をまた見守り、評価します。

「メディアが自由に報道でき」「自由にものが言え」て初めて、民主

主義の歯車は正常に回るのです。



 このように「自分らしい人生/なりたい自分になる」ためにも、民主

主義を正常に動かすためにも、表現の自由(21条)は肝心かなめの人権。

一旦これを失い「自由にものが言えない社会」になれば、それを批判する

ことも叶わない(二度と取り戻せない)という意味でも、決して奪われて

はならない人権です。


 映画館、劇場、書店、美術館などにまともな補償なく営業自粛を迫り

「経済的危機に追い詰める」政策は、権力がそれだけ「表現する場」の

意義はもちろん表現の自由の意義すら一蹴していることを意味します。

「表現する場」をないがしろにする国家では、人が自由な人生を歩む

ことも、民主主義も、幻です。