女性も男性と対等な人間で、能力にも意欲にもまったく差がない
にもかかわらず、この社会は女性がキャリアを積むこと、経済力を
持つことが、非常に困難なままです。
それは結局、日本の政治の土台に「性差別を許さない」という発想
がなく、あくまでも女性を「男性中心社会の歯車をうまくまわして
いくための調整弁」と軽んじたままなのだ、ということがよくわかる
記事をご紹介します。
● 「わきまえる女性ばかりの男女平等」に注意 社会学者の警鐘 (毎日) https://mainichi.jp/articles/20210418/k00/00m/040/028000c
女性は「寿退社」や30歳定年が当たり前だった社会への批判が
高まり、男女雇用機会均等法が施行され、
その代わり、総合職・一般職というコース別雇用が編み出され、
「男性は総合職」「女性は一般職」という事実上の差別が続けられる
ことになりました。
男女共同参画社会基本法や女性活躍推進法は、新自由主義政策の
1つとしてできたもので、「男性並みに企業戦士として働けるなら
どうぞ働いてください」と言わんばかりのもので、家庭責任が夫と妻
で平等に分担できていない非対称な社会構造にはほとんど手を付け
ませんでした。
<一部抜粋>
女性の社会参画が数字上で増えたとしても、コース別雇用の不均衡
や正規雇用・非正規雇用の格差は是正されていませんし、家事や子育
ての負担も女性ばかりが負わされたままです。つまり自民党の女性
政策が目指すのは見せかけの能力主義ではあれど男女平等とはいえ
ません。「家事は女性がやるもの」といった既存の不平等なジェンダー
秩序を利用して、あくまで女性の労働力をより効率的に使おうとする
ものです。このように日本の新自由主義的な女性政策は、構造的な
ジェンダー不平等を見えにくくして温存してきました。
そういう政策を続けてきた政党の中で女性が活躍しようとすると、
「わきまえ」ながらでなければ上に行けないわけですよね。男性文化
にすごく適合して上りつめていったのが、橋本(聖子)さんや丸川
(珠代)さんなのだと思います。
<抜粋終わり>
橋本聖子氏や丸川珠代大臣、あるいは稲田朋美議員など、自民党の
中で“重用”されてきた女性議員が、時に「ジェンダー平等」を口に
するときはありますが、彼女たちは構造的な性差別にメスを入れよう
とはしていないところに、常に警戒が必要です。こういう面をとらえ
て、与党を「ジェンダー平等」に真剣に向き合っている、と捉えるの
は甘い見方だと言わざるをえません。