あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」で
の事件について、神奈川県の黒岩知事が「極めて明確な政治的メッ
セージ」だからこそ「表現の自由ではない」と述べ、「自分だった
ら開催は絶対に認めない」とまで発言しました。
そのことについて、“釈明”を行ったそうです。
● 神奈川県知事「検閲の思いない」
表現の不自由展で釈明も「慰安婦像」問題視 (毎日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190904-00000004-mai-soci
● 「検閲するつもりない」 不自由展で黒岩知事釈明 (神奈川新聞)
https://www.kanaloco.jp/article/entry-192857.html
「誤解を与えたことに関しては率直におわびしたい」
「検閲して自分の気にくわないものを表現させない、という思いは
全くない。一番言いたかったのは慰安婦像問題。表現の自由とは関係
ない」
「慰安婦像の展示に県が税金を出すのは県民の理解を得られないだろう。その思いで申し上げた」
「誤解を与えた」…定番の「本当に謝罪したいのか怪しい」決まり
文句ですが、私たち受け手は、知事の発言をどう誤解したというので
しょう。
今回の発言を見ても…どこが釈明になっているのでしょう?
だって、結局、気にくわない政治的なメッセージは表現させない、
という思い、なわけですよね?
「あらゆる表現」の中から「政治的な表現」だけを抜き出して、
それを「表現の自由」の保障が及ばないものとして、勝手に許可・
不許可を権力が決めていいんだ、という、まさにそれを表現介入
というんですよ、検閲と同じようなものですよ、とひと言でも
アドバイスできるブレーンが、彼の周りには1人もいなかった、
という悲劇。
「表現の自由がどれだけ大事かは自分が一番よく知っている」、
というコメントがめちゃくちゃ寒い…。
あらゆる人が、生活のあらゆる場面で政治と関わっています。
政治と無関係に生きることはできません。
時の権力とは異なる意見・思いを抱くことなんて、ザラです。
権力の気に入る意見しか表現させない、なんて、どこの独裁国家
でしょう。