2019年9月5日木曜日

黒岩知事の“釈明”が釈明になっていない件


 あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」で
の事件について、神奈川県の黒岩知事が「極めて明確な政治的メッ
セージ」だからこそ「表現の自由ではない」と述べ、「自分だった
ら開催は絶対に認めない」とまで発言しました。


 そのことについて、“釈明”を行ったそうです。

● 神奈川県知事「検閲の思いない」 
    表現の不自由展で釈明も「慰安婦像」問題視 (毎日)
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190904-00000004-mai-soci



● 「検閲するつもりない」 不自由展で黒岩知事釈明 (神奈川新聞)
 https://www.kanaloco.jp/article/entry-192857.html



「誤解を与えたことに関しては率直におわびしたい」
「検閲して自分の気にくわないものを表現させない、という思いは
全くない。一番言いたかったのは慰安婦像問題。表現の自由とは関係
ない」
「慰安婦像の展示に県が税金を出すのは県民の理解を得られないだ
ろう。その思いで申し上げた」


 「誤解を与えた」…定番の「本当に謝罪したいのか怪しい」決まり
文句ですが、私たち受け手は、知事の発言をどう誤解したというので
しょう。

 今回の発言を見ても…どこが釈明になっているのでしょう?

 だって、結局、気にくわない政治的なメッセージは表現させない、
という思い、なわけですよね?


 「あらゆる表現」の中から「政治的な表現」だけを抜き出して、
それを「表現の自由」の保障が及ばないものとして、勝手に許可・
不許可を権力が決めていいんだ、という、まさにそれを表現介入
というんですよ、検閲と同じようなものですよ、とひと言でも
アドバイスできるブレーンが、彼の周りには1人もいなかった、
という悲劇。


 「表現の自由がどれだけ大事かは自分が一番よく知っている」、
というコメントがめちゃくちゃ寒い…。

 
 あらゆる人が、生活のあらゆる場面で政治と関わっています。
政治と無関係に生きることはできません。
時の権力とは異なる意見・思いを抱くことなんて、ザラです。
権力の気に入る意見しか表現させない、なんて、どこの独裁国家
でしょう。