2018年2月9日金曜日

校則が支配の道具にならないために


 こんな報道がありました。
● 生徒44人の頭髪切る 水橋高教員6人(北日本新聞)
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl…

  人格形成の途中にある子どもには勉学以外の生活面でも、大人からの
教育的アシストが必要なことはあるでしょうし、その趣旨で学校独自の校則
が存在していると理解しています。しかし、校則が教師による生徒の支配の
道具になるケースがあまりにも多いと感じます。

 生活指導(校則)が、必要性・合理性を備えることはもちろん、生徒の個性
や尊厳を傷つけるものであってはならないことは当然、憲法上の要請です
(学校は治外法権ではありません)。
 この「男女とも前髪は眉が見える程度の長さとし、男子はもみあげが耳の中間
まで、側頭部は耳に掛からない長さに保つ」という厳格な頭髪のルールが、なぜ
生徒の人格形成上必要・合理的だと考えられるのでしょうか?…想像がつきません。

 生徒たちの髪を切った教師いわく「生徒には校則を守るように繰り返し指導して
おり…」
 この教師たちはその指導の際に、その校則の必要性・合理性を説明したので
しょうか。生徒に、その校則に従いたくない理由を説明する機会を与えたので
しょうか。
 「ルールだから文句言わずに守れ」と押しつけただけなのであれば、それは
教育的指導とは乖離した暴力です。
 また、髪を切った教師は「生徒の同意を得た上で切ったという」
 生徒の同意を(教師の行為が許される)理由として挙げたのであれば、見識を
疑います。 
 教師・生徒という圧倒的な上下関係において「生徒の同意」に重きを置く事は、
上司が部下へのセクハラを「合意があったから」と弁明するのとまったく同じです。

 教師の方々には今一度、なぜその校則が必要なのか、合理的なのか、自分の言葉
で生徒に納得いくまで説明できるか徹底的に自問自答してみてください。
 その際、しばしば持ち出される「風紀」「中学生(高校生)らしさ」なるものが
どこまで説得的なものなのか、についても熟考していただきたいと思います。
 真に必要な規則について、教師が心を込めて言葉を尽くせば、必ず生徒は納得・
理解するでしょう。教師の言葉に心がこもっているか、目が泳いでいないか、生徒は
見抜きます。
 生徒に相対する教師の姿勢そのものが、生徒への何よりの教育の資料になっている
ことに、教師側がもっと自覚的になるべきだと思います。

 教師に限らず、子供と接する大人全員、その物言いが、「長いものにはまかれて
おけ」「打たれたくないなら出る杭になるな」と呼びかけていないか、自問すべき
ことですね。