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2018年2月15日木曜日
「わが国の国土や歴史への愛情」が教科目標に。。。それってほんとに“教育”?
平成34年度から実施される高校学習指導要領改定案が公表され
ました。
報道によると
「地理歴史科では近現代の社会変革に着目し世界と日本の関係を
複眼的に捉える必修科目「歴史総合」を新設して歴史教育の転換を
図るほか、教科目標に初めて「わが国の国土や歴史への愛情」への
自覚を明記。領土教育も拡充した。」
とのこと。
●【高校指導要領改定案】近現代史の必修科目新設
「国を愛する」初明記(産経)
http://news.livedoor.com/article/detail/14300723/
歴史科目の目標に、なぜ「わが国の国土や歴史への愛情」の自覚、
が加えられなければならいのでしょうか…。
歴史を学んだ上で、その「わが国の国土や歴史」を愛するように
なるのかどうかは、生徒の自由です。
歴史を学び、深く考察した結果、愛情が芽生えない生徒は、歴史の
教科を修めたことにはならないのでしょうか?
そんなの、「余計なお世話」ですよね。
国家が生徒に「国を愛せ」と。「Love me」と。
愛情って、指導されて芽生えるようなものではありません。
それで本当に愛情が芽生えたなら、それは指導ではなく、洗脳です。
教育とは真逆です。
日本の戦争加害の歴史を知ることは、決して日本を「おとしめる」
ことではありません。加害の事実を国民がどう見つめて、どうカタを
つけたのか。「わが国の歴史への愛情」なるものの決定的なポイントが
あるとすれば、そこなのではないでしょうか。
子どもの「教育を受ける権利」がきちんと保障されるのか、とても
不安になります。