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2014年2月24日月曜日
元内閣法制局長官 阪田雅裕氏の講演&あすわかのアピール
先日(20日)、参議院議員会館講堂にて「集団的自衛権を
考える超党派の議員と市民の勉強会(第1回)」が開催され
ました。
基調講演は元内閣法制局長官の阪田雅裕氏による「政府
の憲法9条解釈」。
立憲主義・法の支配・法治主義の観点から、解釈改憲が
いかに不当か。政府の中枢で憲法9条の解釈を磨き上げて
きた法制局のトップであった阪田氏のお話は、実に説得力に
満ちていました。
まず、今現在、国際法上許される戦争はもはや「集団的
自衛権の行使」しかなく、アメリカのベトナム戦争も、ソ連の
チェコ侵攻も、すべて集団的自衛権の行使を名目に開始さ
れました。あれらの戦争自体の当否はともかく、集団的自
衛権行使を理由にしないと、国際社会では是認されない、
というわけです。
日本国憲法は、すでに98条で国際協調主義を規定して
いて、国際法のルールを守るよと言った上で、さらに9条で
戦力の不保持を宣言しています。なのに、「憲法9条は集団
的自衛権の行使を認めている」ことにしてしまったら、9条は
空文化します(意味が無くなります)。
単なる国際法水準(集団的自衛権行使の戦争なら許され
る、という考え)よりも上のレベル(一切の戦力を持たない)
だからこそ、9条平和主義は日本国憲法の3大原則の1つ
なのに、9条に国際法水準の意味しか持たせないことにな
ると、もはや9条がわざわざ存在する理由が無くなるのです。
そうまでに、憲法とこの国のあり方を解釈で変えてしまう
のが、解釈改憲です。
阪田氏は、続けて、解釈改憲は「立憲主義と法の支配
の否定」だと話しました。
時代が変わったからとか、安全保障環境が厳しくなった
からとかいっても、日本は法治国家なのだから、時代遅れ
な法律があれば、それは「改正」することで対応しなければ
なりません。なぜ憲法にかぎって、政府が突然「時代遅れ
なので読み方変えます。今までの読み方はぜんぶ間違い
でした」という方法で実質的に変えることが許されるので
しょうか?こんな手法が許されるのであれば、立法府(国会)
など不要ということになります。
この60年間(そのほとんどが自民党政権)、政府は
自衛隊の海外派兵がなぜ憲法9条のもとで許されるか、
その理屈をひたすら練り上げてきました。
「自衛隊は戦力ではない。自衛のための最小限度の実力
部隊だから、戦力ではないのだ!戦力ではないから戦争
には参加できないが、非戦闘地域での、直接の武力行使で
はない作業には参加できるのだ!」
この政府解釈には、厳然たる「憲法9条の下、集団的
自衛権の行使は許されない。日本が攻撃を受けていな
いのに、他の国が攻撃を受けたからといって戦争に参加
するのは、明らかに『自衛』ではない」という前提があります。
言ってみれば、政府は60年間、「集団的自衛権の行使
は許されない」と厚く、厚く、塗り固めてきたわけです。
イラクやアフガニスタンへの派兵自体の批判はもちろん
あります(名古屋高裁は自衛隊のイラク派兵を違憲と断じ
ました)が、政府なりの「ある意味風雪に耐えて磨き上げら
れた解釈、60年間論理の破綻をきたすこともなく整合的に
一貫してとられてきた緻密な解釈」(by阪田氏)だといえます。
その積み重ねを、
今、安倍政権は、「全部まちがいでした~!」とひっくり返そう
としている。
これが解釈改憲です。
9条を最終的に名文改憲すべきなのかどうかは、それぞれ
立場の違いがあるでしょう。しかしそれらの立場を超えて、
「解釈改憲などという卑怯な手は許されない」と連帯しなければ
ならない時にきていると、改めて思いました。
残念ながら、今の日本は、そういう連携をはからなければ、
立憲主義も民主主義も守ることができない瀬戸際にあるの
ですから。