2014年1月17日金曜日

小澤俊夫氏のメール通信


  昨年末の話ですが、口承文芸学者で小澤昔ばなし
研究所所長の小澤俊夫さんが、「昔あったづもな」という
メール通信をお始めになったとのことです。

 オザケンのお父さん(小澤征爾さんのお兄さん)って
行った方が早いかも~♪

 特定秘密保護法が成立した時の「また同じ歴史が繰り
返されようとしている」という皮膚感覚を、現代にしか生き
たことのない世代へ伝えなければならない、という小澤
さんの思いが伝わってきます。
(特に最後の2段落を読んだ時、鳥肌が立ちました。)
  拡散自由なものなので、下記に貼り付けます。


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 メール通信 昔あったづもな 第1号

「日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに」


 発信者 小澤俊夫 小澤昔話研究所所長


   昨年12月6日に成立した「特定秘密保護法」は国民の
首をじわりじわりと絞めていくことになる危険な法律です。
日本人は1945年8月15日の敗戦まで「治安維持法」や
「国家総動員法」によって苦しめられて来ました。
 ぼくには、あの日本がまたやってくるという強い危機感が
あります。安倍首相が選挙で唱えた「日本を取り戻す」とは、
そういう日本のことだったのです。


 ぼくは2014年4月に84歳になります。戦後に生まれた
人にとっては、敗戦以前の日本がどんな国だったか、
ほとんど想像がつかないでしょう。
  そこで、ぼくが体験した、そして実際に見た、そして聞いた
日本のことを、勝手に「通信」として広く読んでもらおうと思い
たちました。内容に納得できた方は、どうか知人・友人に回し
てください。メールでも紙でもかまいません。ぼくに断らなくて
結構です。そしてその知人・友人にも、もし納得できたら更に
広めるよう依頼してください。特に若い人たちに読んでもらい
たいと思います。


 
 この「通信」を読むほとんどの方は、生まれた時にはもう
現在の平和憲法があり、自由で民主主義を標榜する日本に
なっていたであろう。今の平和憲法を獲得するまでの、暗い
日本のことは知るはずがなく、今の日本が当たり前と思って
いることだろう。


 だが、今の平和憲法を獲得するには、約三百万の日本人
が命を落とし、約三千万のアジアの人が命を落としたことを
忘れてはならない。そして、日本は暗い秘密国家だったことを。


 ぼくは昭和二十年八月十五日まで、東京の陸軍第二造兵廠
で神風特攻隊用の爆薬を作っていた。戦争中の日本の雰囲気
にもろに呑み込まれて軍国少年だった。当時日本国民は戦争
についての真相はまったく知らされず、日本は勝つものだと
信じ込んで、ひたすらお国のために働いていたのだ。
大事なことはすべて秘密のベールの中だった。
日本海軍がミッドウエイ海戦で壊滅的打撃を受けたことなど
まったく知らされていなかった。その後の敗戦のプロセスに
ついても、きれいな言葉でごまかされていた。


 後で退却だったことが分かったマダガスカル島の戦況に
ついては「戦略的転向」と報じられた。ビルマ(今のミャンマー)
戦線の敗戦も「戦略的転向」だった。アリューシャン列島のアッツ島
での全滅は「玉砕」と言われた。もちろんそれは「全滅」だと想像
できたが、国民はあからさまにそうは言えなかった。
  そのうちにアジア各地の前線での「玉砕」が報じられるよう
になった。
  国民は不安を感じ始めたが、「大本営発表」は「皇軍は赫々
たる戦果を挙げている」とか、「敵を殲滅した」とか、「最後の勝利
は我にあり」というばかりだった。
  そして、極めつけは「そのうちに必ず神風が吹く」という言葉
だった。
  国民はみんなそれを信じさせられた。笑ったら国賊と呼ばれた。


  だが、昭和20年3月10日のいわゆる「東京大空襲」の時も、
5月25日夜の東京西部地区(中野、荻窪、阿佐ヶ谷方面)の大空襲
の時も、吹いたのは神風どころか、火災による大風で、そのために
あたり一面、完全に焼け野原になったのである。
  ぼくは立川でその空襲を経験したのだが、東の空が真っ赤に
焼けて、新聞が読めるほど明るくなった。


 情報は大本営発表しかなかったから、軍の高官や政治家、官僚、
有力者たちが陰で利権をあさったりピンハネしたりしていても
わからなかった。それがわかったのは、敗戦後、いろいろな暴露
雑誌が出始めてからであった。暴露されてみると、秘密裏に行われ
ていたことは、ひどいものだった。


 ぜいたく品追放とか、精密機械製造に必要と称して国民に無償
提供させた貴金属類は、軍部の高官や政治家たち、官僚たち、
地方のボスたちがポケットに入れてしまったということだった。
戦車製造のためと称して供出させた鉄類の多くは、放置されたまま
錆ていったということだった。


 それらのことが秘密裏に行われていたということは、一般国民
にはそれを知る権利はまったくなかったということである。
 今回成立した「特定秘密保護法」でも、国民の知る権利については、
「配慮するよう努力する」程度のことでごまかされている。
知る権利がないということは、知ろうとしたら犯罪になるということ
である。


 戦争中、「壁に耳あり、障子に目あり」という言葉が国中に
徹底して言われていた。それは、どこにスパイがいるかわからない
から、発言に用心せよという意味で言われていた。
 だが、当時、鎖国状態の日本国内のいたるところにスパイが
潜んでいるはずはなかった。本当の意味は、国民に、「何かを
知ろうとすることはやめろ」という意味だったのである。
 「目も耳もふさいでいろ。何かを知ろうとしたり、考えたりする
ことをやめろ」という意味だったのである。


 では、それをやめて何をしろというのか。
「ひたすら、政府の言うことだけを信じて、黙ってついてこい」という
のである。言論の自由の正反対の考え方である。
「特定秘密保護法」はそれをめざしている。
なんとしても廃止しなければならない。(2013/12/26)