今朝、Googleのロゴがまた見たことのないデザインに変わっていることに気づきました。
(「Google Doodle」といって、記念日に合わせてロゴが変更されるのだそうです)
今日の記念日は「ダイアン・フォッシー生誕82周年」だそうです。
この方、私も今日まで知らなかったのですが、ゴリラの生態を研究した方なのだそうです。
http://newclassic.jp/archives/6713
「彼女はゴリラと生活を共にするという当時としては異例の方法でフィールドワークを行い、ゴリラの生態系を詳らかにした。」
とは、なかなか想像がつかないのですが…。
ゴリラ達は、何をするか分からない異生物である人間をどう思ったのでしょう。
でも、確かなのは、生活を共にすることで、明らかに姿形の違う人間にでも、その生き方を見せてくれたということ。
言葉がなくても、心に通いあうものがあったということ。
当時謎多き生き物であったゴリラに対する「あなたをわかりたい」という情熱があればこそ、なせる業だったのだろうと思います。
それなのに、人間同士解り合えないのはなぜなのでしょう。
すぐ近くにいる、同じ人間(ただし権力を持っている)がしようとしていることを、解ろうとしないのはなぜでしょう。
隣の国は、何を考えているかわからないからこわい?
意見の違う人たちは、元々考え方が違うんだから知る必要はない?
政治ってよくわからないし、面倒だから考えない方が楽しく暮らせる?
知りたいとさえ思えば、知ることはそんなに難しくないはずです.
ほんの少し、本物の「隣の国の人」に会って話してみたら。
ほんの少し、自分が考えたことのないことについて考えている人に聞いてみたら。
ほんの少し、政治について語っている近くの人に話を聞いてみたら。
何かが変わるかも?
人間は、ゴリラとだって解り合えるんです。
こちらから情熱を持って、解り合いたいと心から願って近づけば、同じ人間同士だもの怖くなんてないはずです。
私たちあすわかも、皆さんとひとときを共にして、思いを共有したいと思います。
考え方の違う人たちとこそ。
意見を持たない、憲法ってよく分からない人たちとこそ。
私たちは、謎に包まれたゴリラの群れに見えるかもしれませんが(!?)解り合えると信じています。