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2013年8月15日木曜日
集団的自衛権容認への「暴走」
安倍首相は12日、
「将来の憲法改正に向けて頑張っていく、
これが私の歴史的な使命であると思っている」
と決意表明したそうです(NHKオンライン8月12日22:53)。
故郷の後援会で述べたのだそうで、並々ならぬ
改憲への執念が伝わってきます。
ひえ~~~、、、
改憲という「悲願」達成に向けた行動力は呆気に
とられるほどで、集団的自衛権容認派の外交官を
内閣法制局長官にすげ替えるという異例な「無理を
通して道理を引っ込めさせる」人事を行いました。
13日には集団的自衛権の解釈見直し(容認する)を
示唆する答弁書も閣議決定されました。
以前も書きましたが、内閣法制局の憲法解釈の答弁は、
法令調査・立案・審査の職人集団による長年の研究の
成果です。
戦後、55年体制以降の長期にわたる自民党政権下
(つまり改憲勢力の天下)において、どう理屈をこねくり
回しても、「集団的自衛権が認められると言えるわけが
ない」、という結論を変えることはできませんでした。
今年5月の内閣法制局長官答弁も、「集団的自衛権は
わが国に対する武力攻撃に対処するものではなく、
(中略)その行使は憲法9条の観点で許されない」という
ものでした。
集団的自衛権を容認するには、理論的には憲法9条を
改正するしかないのです。
そんなさなか。
安倍首相は私的に諮問機関「安全保障の法的基盤の
再構築に関する懇談会」を設置して、集団的自衛権の容認
(そして改憲)に向けた準備を整えています。
その懇談会の北岡座長代理が、歴代内閣の集団的
自衛権に関する憲法解釈は「間違っている」と指摘しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130814-00000013-jnn-pol
「私どもの多くは、今の内閣法制局の集団的自衛権に
ついての考え方は間違っていると思っているのです。
最初から」(北岡氏)
安倍首相も、この「アドバイス」に沿って、日本政府の中枢の
長年にわたる研究の蓄積をバッサリと「間違っている」と斬り
捨ててしまうのでしょうか…。
北岡氏は、集団的自衛権を容認したくば改憲すべきなのでは
という主張に対しては、
「憲法を変えるのに大変な手間がかかるんです。安全保障は
安全保障で現実に待ってくれない状況があるわけです。その間、
非常に危険な事態が起こったら一体どうするのか」と反論します。
9条の解釈をありえない感じに持っていって実質的に死文化
させて、その上で改憲する、という路線は、どうやら決まりつつ
あるようです。
同懇談会は、年内にまとめる報告書に、集団的自衛権を共に
行使する対象国を米国以外に拡大する提言を盛り込むそうです。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013081301001773.html
「密接な関係にある国が攻撃を受け、日本に重大な被害が
及ぶとき」に集団的自衛権が行使できるとの趣旨の提言を
検討しているとのことで…
この解釈が現実のものとなったら、9条の骨抜きどころか、
立派な軍事国家のできあがり、といったところです。
このグローバル社会、どこかで戦争が起きれば、いくらでも
「我が国に重大な被害が及ぶ」と言えてしまえる気がします。
軍事国家へと駆け上がるのか、転がり落ちるのか、どちらにせよ
暴走という表現したくなる動きを安倍政権が見せる一方、
古賀誠元自民党幹事長は、雑誌『世界』9月号にて憲法に
ついて語っています。
「愚かな戦争、これほど惨めなものはない、平和ほど尊い
ものはないと、つくづく思います。日本は二度と戦争をしては
いけない。このことは私の命のある限り訴え続け、次の世代
の人たちにつないでいく責任があると思っています。」
(古賀氏)
自民党という政党の変貌と、日本社会の変容を顧みずには
いられません。