「仕方ない」―この言葉は、便利ですね。
いろいろな怒り・疑問・違和感、すべて押し殺すか棚上げにして、
容認する。
米軍基地も、増税も、福祉の切り捨ても、戦闘機の爆買いも、
「まぁ…仕方ないんじゃん?」で済ませるのはラクです。
でも、それは結局のところ賛成か反対のどっちなの?といえば、
れっきとした「賛成」です。
(沖縄の県民投票で、自民党が「賛成」「反対」に加えて「やむを得ない」
という第3の選択肢の追加を提案したことは、衝撃でしたが、まさに、
これです。)
餓死者が出るほど少ない生活保護や、自殺にまで追い込むような過酷な
時間外労働、性差別も「仕方ない」でしょうか。
そうやって、飲み込み続ければ、いつか必ず「自分らしい人生」など
誰一人として歩めない、何のために生きてるのか分からない社会になります。
(すでに、そういう社会になりつつあるような気さえします。)
憲法の「個人の尊厳」なんて絵空事だ、と思わないでください。
「仕方ない」と思うから、絵空事になるのです。