2013年7月17日水曜日

表現の事前抑制はなぜ許されないのかな


 東京限定なのかもしれませんが、7月16日付朝日新聞朝刊27面で、
漫画家の山本直樹氏が憲法について語っています。

 山本直樹さんといえば、いわゆる「エロ」な作品で有名な漫画家です。
東京都青少年健全育成条例の「不健全図書」に初めて指定された漫画
の著者でもあり、そんな縁(?)で「有害図書」への事前規制に異を唱える
漫画家の先頭に立つ一人です。

 その山本さんが、事前規制強化を訴える世論への違和感をこう語って
います。


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民主主義というのは、自分の頭で考えろ、ということでしょう。
子どもに有害だと思うなら自分の子にそう言って叱ればいい。
「お上」を使うのは自分で考えることからの「逃げ」だ

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 この発言を読んで、自民党の改憲草案第21条2項が頭をよぎりました。
改憲草案では、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」のです。
これは目的規制なので、つまり事前規制の一形態ですよね。


 「公益及び公の秩序」というものを持ち出して国民の表現を事前に規制
することの怖ろしさは、何度も繰り返し話してきたので、もう食傷気味かも
しれませんが、上記山本氏の発言を切り口に(というかこれがすでに解答
なのですが)、もう少し、なぜ事前規制が許されないのかを掘り下げてみ
ましょう。


 表現の自由の規制の中でも、観光地の看板の色を地味にするとか、
やらしい雑誌を18禁にするとかがアリだとしても、とりわけ検閲あるいは
「事前規制」することがなぜいけないのでしょうか?


 問題は受け手です。
 表現の自由について考える時は、意識的に受け手の側から考えて
みることが必要です。
 事前抑制がなされると、情報の受け手がその情報に接する機会が
無くなってしまいます。そして、その情報に接する機会が無くなってし
まうと、受け手は、受け取るはずだった情報の価値を評価できない
ことになります。評価したくてもできないのです。

 本来、表現の価値(面白い、つまらない、秀作、駄作、斬新、退屈etc)は
受け手が決めるものです。受け手に判断させないで、受け手に届く前に
公権力が表現の価値を判断してはなりません。


 なぜ公権力に判断させることがいけないのでしょうか?
 それは、簡単に言えば、国民1人ひとりを、独立した、平等に尊重され
配慮されるべき人格として承認していないと解さざるを得ないから、です。

 もし国民1人ひとりを自律的存在として認知しているのであれば、
事前抑制などしないはずです。
 事前規制しなければ秩序が害される、社会が混乱する、という発想は
つまり、有害な表現物が出回ったとき、国民は表現物を受け取って、
しっかりと「つまらん」「有害だ」と判断することができず、みんな惑わ
されて流されて一気にモラルも風紀も秩序も乱れて社会が混乱する
に決まってる、だから権力が事前に「これは読んでも安心だよ。でも
これは君たちにはくないからダメ」と選んであげなければならない、
という発想に他ならないのです。

 憲法13条「個人の尊重」から出発する近代民主主義国家においては、
およそ考えられない発想です。


 受け手に判断させるべき表現や情報の価値を、政府がそれに成り
代わって認定してしまうことは、個人の尊重という原理の根幹に関わ
るのです。

 
 「憲法はこのままでいいと思う」とおっしゃる山本さんは、このことを
見抜いておられます。


 表現の自由が規制されるっていったって、私は別に作家じゃないし
デモにも行かないし、と考えている方には、ぜひ、こういう観点から
表現の自由を考えてみてほしいなぁと思います。もっぱら表現の受け手
だとしても、受け手としての私、の人格に関わる問題なのです。