2013年6月6日木曜日

改正要件に差をつける、って!?


読売新聞の報道によると(以下、抜粋)、


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 安倍首相は憲法改正の発議要件を定めた96条の見直しに関し、
改正対象の条文ごとに発議要件に差をつける案の検討に意欲を示した。

 公明党の主張に沿うもので、96条見直しに同党の理解を得る
狙いがあるとみられる。
 首相はこの中で、「発議要件を衆参両院の3分の2以上にする
場合と、2分の1以上にする場合に分けてはどうか、という案が
あります。統治機構に関する条文については2分の1でもよいが、
人権に関わる条文や9条などについては、3分の2以上の賛成に
しようという議論です」と述べた。その上で、「憲法改正は自民党
だけでできるものではありませんから、さまざまな意見を聞いてい
く必要がある」と語った。

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人権規定、統治機構、9条等々、条文ごとに改正要件に差をつける、
という案だそうです。

 なるほど、安倍首相は(少なくとも)統治機構の条文について
は「総議員の3分の2」要件の緩和をしてもよい、という発想も
アリだと考えているようです。

 統治機構の条文は、制度設計の問題ですからね、という感覚
なのでしょうか。

 しかし、統治機構の規定がなぜ憲法上の制度かといえば、
三権分立や間接民主制といった制度そのものが、個々人の自由と
人権を守るための不可欠な手段であると考えられているからです。

 また、例えば
・国会議員の不逮捕特権(50条 政府が対立する議員を恣意的に
 逮捕して職務執行を妨害することを防ぐための規定)、
・シビリアン・コントロールの規定(66条2項)、
・政教分離を財政面から定めた規定(89条)、
・天皇に政治的権能が無いことを定めた規定(1条、4条)
 などなど、ザっと見渡しただけでも、民主主義というシステムが
正常に機能するための重要な規定が定めてあります。


 ですので、これらの規定を“人権規定ではない”という理由で
改正要件を緩和することには、疑義を抱かざるを得ません。


 こう反論すると、安倍首相は、「じゃあ、この条文とこの条文
なら改正要件を下げても問題ないだろう?」と、さらに条文を絞って
、改正のハードルを下げることを主張するかもしれません。
 しかし、なぜそこまでして改正要件を緩和したいのか、その姿勢
がそもそも問題だと言わざるを得ません。
 ハードルを下げたいのは、ハードルを飛び越えた先で何かを
したいから、です。
 憲法の中身をどのように改正したいのか、実体的な議論をして
もらわなければ、主権者国民をあざむいているのでは?と心配に
なります。


 憲法は“国民が国家権力を縛る法”です。縛られる側の権力が、
「103条もあるのだから、どれかは簡単に変えたっていいはずだ」
という姿勢で憲法を見つめるのは、謙虚な姿勢とは思えません。
 実際に、「この規定さえなければ民主主義がうまくまわるのに」
なんていう世論の高まりも、ありません。立憲主義の考え方からは、
このような条文ごとに改正要件に差をつける、などという“アイディ
ア”は、出てこないはずです。

 政府や与党自民党には、今一度、憲法とは何なのかを学び、96条
改正あるいは96条改正先行という議論が、憲法の死刑執行を招くも
のかを分かって頂きたいものです。