2016年12月16日金曜日

☆参考資料☆ 9条を思いついた幣原首相のインタビュー資料


 米軍普天間飛行場に所属するMV22オスプレイが
沖縄県名護市安部の海岸に墜落して木っ端みじんに
なりました。

 “未亡人製造機”と揶揄されるほど事故が絶えない危険な
輸送機ですが、あんな大破している光景を見ながらも、日本
政府は米軍にオスプレイの導入をやめてくれとは言いません
(むしろ購入したりしてます)。

 オスプレイが飛び交う空の下で暮らすのはイヤだという国民
の気持ちはどこまでも置き去りです。
 安倍首相はなにかあるとすぐ「日米同盟は外交の基軸」とか
「日米同盟を強固なものに」とか言いますが、日本の国民の命
とか、主権者国民の民意とか、日本の最高法規である憲法が、
すべての出発点であり何よりも大事なものであることを、忘れて
いるのではないか、と不安にならざるを得ません。

 日米同盟を強固なものにするためなら、国民の命も人権も
民意もどうでもいいんだ、といわんばかりの行動に、主権者と
して、侮辱された思いがつのります。


 さて、オスプレイや米軍基地、そして内戦はげしい南スーダン
に派遣された自衛隊に思いをはせるにつけ、71年前に憲法9条
を思いついた幣原喜重郎首相は、天国からどんな気持ちで日本
を見つめているだろうか、と考えてしまいます。

 今日は、幣原喜重郎首相が憲法9条を思いついた時のことを
平野三郎氏(元衆議院議員)がインタビューしたときの資料を
ご紹介します。

 ちょっと長いのですが、時間のある時に、読んでみて下さい。
戦前、軍縮に取り組み、「世の中に軍縮ほど難しいものはない。」
と身をもって知ったことを語るところから始まります。


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「幣原先生から聴取した
 戦争放棄条項等の生まれた事情について」
 からの抜粋


 唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。
それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。
 一、二、三の掛声もろとも凡(すべ)ての国が兵器を海に投ずるならば、
忽ち軍縮は完成するだろう。勿論不可能である。
 それが不可能なら不可能なのだ。

 ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮んだので
ある。
 そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――

 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。
 次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。
相手はピストルを持っている。その前に裸のからだをさらそうと言う。
何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。
若(も)しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。
正に狂気の沙汰である。

 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験では
なかったかと思う。
 何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとして
きたのか。
 今だ。今こそ平和だ。
 今こそ平和のために起つ秋(とき)ではないか。
 そのために生きてきたのではなかったか。
 そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。
 何か僕は天命をさずかったような気がしていた。


 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。
 だが今では正気の沙汰とは何かということである。
 武装宣言が正気の沙汰か。
 それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。
 何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の
蟻地獄から抜け出すことができないのである。
 これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。
 その歴史的使命を日本が果すのだ。

 日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗(せんとう)的に
戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。
 その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって
日本民族は依然として神の民族だと思う。
 何故(なぜ)なら武力は神でなくなったからである。
 神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
 日本人はその悪魔を投げ捨てることに依って再び神の民族になるのだ。
 すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。
 それが歴史の大道である。
 悠々とこの大道を行けばよい。
 死中に活というのはその意味である。


<問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い
将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。
目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を
設けて侵略してきたらです。>


 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。
 そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。
 然(しか)も次の戦争は今までとは訳が違う。

 僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。
 勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。
 警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察
への分担責任は当然負わなければならない。
 しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。
 僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。
 その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に
依って裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に
形成されるように必ずなるだろう。
 何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。
 若(も)し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を
破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は
黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、
その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。
 要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依って我国の
安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。

(抜粋終わり)
 
 出典:国立国会図書館憲政資料室所蔵
 文書名「憲法調査会資料(西澤哲四郎旧蔵)」
 文書番号165