2013年10月9日水曜日

解釈改憲のシナリオ


 今朝の朝日新聞の報道によると、民主党の北沢俊美元防衛相は
安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認について、憲法解釈の
変更による容認に反対する方向で、党内意見の取りまとめを目指す
意向を明らかにした、とのことです。


http://www.asahi.com/politics/update/1009/TKY201310080503.html?ref=com_top6


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 北沢氏は、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認について
「一内閣の恣意(しい)的な判断で憲法解釈を変更するのは許し
難い」と批判。「解釈改憲は政治的に不誠実だという点での意見
集約は、早い段階で中間的にできるだろう」と述べた。
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 なかなか進む道筋が定まらない民主党も、「解釈改憲は政治的に
不誠実」という点でまとまることはできるのですね、さすがにそこは
食いとどまったということを評価すべきか、もっと踏み込んだ(今の
9条を積極的に評価する)見解でまとまれなかったのかと残念がる
べきか、意見は分かれるかと思います。が、少なくとも自民党の解釈
改憲の道には追随しないようです。


 それも当然といえば当然なのですよね、文字通り、「暴挙」なのですから。


 「集団的自衛権の行使は憲法9条も容認している」という解釈は、
戦後68年間、自民党政権がどんなに憲法を改正したい(9条を改正
して軍隊を作りたい)という悲願を抱いても、乗り越えられなかった壁
です。乗り越えられないのは当然です、なぜって9条は戦争放棄、
戦力不保持とハッキリ書かれているのですから。
 確かに内閣法制局という選りすぐりのエリート集団は、自民党政権下、
9条の解釈をどんどん緩めてきたという「功罪」はあります。しかしその
エリート集団の頭脳を持ってしてでも、9条が集団的自衛権を容認して
いるという解釈を導き出す理屈は出てきません。その一点はどんなに
時の政権が要求しても突っぱねた、この意味では内閣法制局は「憲法
の番人」だったのです。我が国の法令体系の網すべてを頭に詰め込ん
で整合性を図るいわば「法令審査・解釈の職人」としてのプライドもそこ
にはあるかもしれません。


 「ならばトップをイエスマンにしてしまえばいい。」安倍政権が打って
出た行動が、この策です。法制局での修行期間ゼロ秒(!)であり、
集団的自衛権行使容認の持論を持つ小松駐仏大使を突然法制局長官
に据えました。
 法制局で修行を積んだ生え抜きではない小松氏は、集団的自衛権の
解釈変更が、どんなに無理な解釈で、どんなに他の法体系に与える
影響が甚大か分からないでしょう。しかしむしろ分からないからこそ、
安易に解釈変更を命じることができる、これが安倍政権の狙いです。
 長官から指示されれば、次長も第一部長(←憲法解釈を担当)もその
指示通りに動くほかありません。拒絶すれば、更迭しかありません。
あくまでも「他の省庁からの出向集団」なので、首を切る=元の省庁に
戻るだけで、つまり首にしやすいのです。


 安倍首相の私的諮問機関(安保法制懇)は、諮問機関とはいっても
メンバー全員が集団的自衛権の行使容認論者なので、結論は決まって
います(←ちょっと、ここ、あからさますぎですよね)。「集団的自衛権の
行使は憲法9条も容認している」という結論を安保法制懇がまとめて
安倍内閣に提出すれば、内閣の了解、そして首相の法制局長官への
指示、と水が上から下へ流れるように話は進み、解釈改憲がなされ、
その上で、国家安全保障基本法の制定へ話が進みます。これが解釈
改憲(9条死文化)へのシナリオです。


 日本は今、本当に、無制限に軍隊を派遣し、人を殺し、殺される国に
なりかわろうとしています。安倍首相は国連で「積極的平和主義」という
言葉を編み出して使っていました。積極的平和主義?え、それって、
今の9条のことじゃないのかな?戦争放棄だった国が、戦争する国に
なることの、どこが積極的平和主義なのかな?と思うのですが…


 改憲手続にのっとった改憲(明文改憲)ではなくても、実質的に同じ
ことが解釈改憲でなされようとしているこの崖っぷち状態を、もっと多く
の国民に知らせる必要がありますね。